2016年1月6日水曜日

あけましておめでとうを折句にしたお薦め映画タイトル

ツイッターに 
というハッシュタグがあるので、サッカー映画で作ってみました。

あ 「明日へのチケット」アイ・コンタクト もう1つのなでしこジャパン ろう者女子サッカー」「アザー・ファイナル」
け ケルジャコフが出ている「エターナル 奇蹟の出会い
※なかなか「け」は難しいので苦し紛れで。しかしサッカーシーンのある「ケス」にしよう。
ま 「マイ・ライフ・アズ・ア・ドッグ 」マラドーナ」
し 「幸せになるためのイタリア語講座」「勝利への脱出」「少林サッカー」「シーズン・チケット」
て 「テヘラン、25時「TESE」
お 「オールスターズ」「オフサイド・ガールズ「男のゲーム」
め 「メタリスト・ハリコフ」(ショートアニメーションシリーズ 「メタルルグ・ドネツク」や「メタルルグ・ザポロジエ」もあります)
で 「ディディエ」「ディナモ・キエフ」(ショートアニメーション)
と 「トラベラー 」「トロワ・ゼローサッカー狂時代」
う 「ウィニング・チケット-遥かなるブダペスト「ヴィーナス11 彼女がサッカーを嫌いな理由

2015年12月13日日曜日

オデッサ海岸通り: 青いターバンの民

オデッサ海岸通り: 青いターバン: イスラーム映画祭で久しぶりにユーロスペースに行った。

劇映画「禁じられた歌声」とドキュメンタリー映画「トンブクトゥのウッドストック」はマリの古都ティンブクトゥまたはその近郊の遊牧の民トゥアレグ(自称ではケル・タマシェク)についての作品だった。
ケル・タマシェクやトゥアレグというのは初めて聞いた言葉のように思う。が、以前読んだ『アラーの神にもいわれはない』には言及があったかもしれない。衣装には青を好んで用い~やはり砂漠の民だから水は恵みとして青が愛されているのか、と思いきやむしろ空の色との認識であるようだ。で、他のイスラームの民と違って、顔や肌を曝さないような装いをするのはむしろ男性。ターバンで髪と鼻から下を覆い、ゆったりとした長袖の上衣とやはりゆったりしたズボンで体を露出させないようにしている。こういう特徴があるエスニックグループだとは、ほんと、知らなかった。

「禁じられた歌声」を観ていると、ソ連映画(グルジア)「希望の樹」が思い出された。
聖愚者的な女性の存在とか、愛する二人の運命、駆けて来て去って行く人(片や馬、片やバイクに乗っている)など。
「希望の樹」は古い因習・社会が恋人を引き裂く完全な悲恋ものだが、一方の「禁じられた歌声」は2012年1月のマリ北部独立紛争(「アサワド」独立を宣言、国際的には未承認状態)、その後「イスラーム・マグリブ諸国のアル=カーイダ機構」を名乗るいわゆるイスラーム原理主義者たち※によってティンブクトゥが占拠された当時の、その支配あるいは弾圧と、庶民の苦しみそして抵抗という、非常に今日的で社会的な要素てんこ盛りの、重たい映画であるので、単純な比較はできないが、監督はソ連の映画アカデミー出身(全ソ国立映画大学)とのことなので、同じ師匠筋かも?などど想像してしまった。
(ロシア語のウィキペディアを見たが、大学で誰に師事したかの記載はなかった。)

まずもって、映像の美しさは特筆すべきだろう。
ロングショットの多用はタルコフスキーやソクーロフを思わせる。
ああいう人たちが支配する地域では、なぜかサッカーが禁止され、「違反」した少年が処刑されたなんていうニュースも目にしたが、この映画では鞭打ち刑が言い渡される。
音楽やっていて捕まって同様に鞭打ちされる女性は、刑を執行されながらそれでも歌う。
歌って抗議、というより、その心境をそのまま吐露する。
それは壮絶な姿だ。
対し、違反とされたサッカーをそれでも止められるわけがなくて、少年たちがとった手段は”エアサッカー”とでもいうべき、ボールなきサッカーで、あたかもボールを蹴り、ドリブルし、阻み、シュートし、セーブしようとし、ゴールパフォーマンスをし、といったシーンがえも言われぬ美しさで心を打つ。本気で泣けてくる。
いや、実はばればれだろ、という突っ込みはなしで。
(ゴールも撤去した方が安全だよね、とは思った。)

「トンブクトゥのウッドストック」の方は、2011年1月に、ケル・タマシェクの民が一堂に会し、また外部の人々にも自分らの文化の発信をすべく開催された音楽祭「砂漠のフェスティバル」(音楽だけでなくラクダレースなんかもあるが)の、つまり上記の政変やアルカイーダ系の人々による占拠・支配の直前のドキュメンタリーだ。
あ、こういう自らの国家を持たず幾つかの国にまたがって分布する形で遊牧あるいは放浪する人たちが年に一回とか集まって絆を確かめ合うって、見たことあるじゃん、そう、ロマの人たちのあれと似ているかもって思った。
ケル・タマシェクの人たちの音楽は、きっといろいろあるのだろうけれど、音楽祭でやっていたのは、アフリカの伝統的な楽器というわけではなくて、エレキとかドラムなんかも用いながらのものだったりした。
ギターは「禁じられた歌声」でも出てきて、身近な楽器なのだろう。
イランあたりでも聞かれるような、女性の特色ある発声もあった。

(ゲストトークでも、青木ラフマトゥさんが実際にその声を出してくださった。)

※字幕では「サラフィスト」という言葉が当てられていた。

「禁じられた歌声」 2015年12/26~ユーロスペースで一般公開。シリアの「それでも僕は帰る」(一番あってほしくないこと ”サッカーボールを銃に持ち替え” )とともに、観ておくべき今日的サッカー関連映画だろう。

2015年8月5日水曜日

一番あってほしくないこと ”サッカーボールを銃に持ち替え”

シリア映画「それでも僕は帰る シリア 若者たちが求め続けたふるさと」を観てきた。

ここ一週間観ていたのがクリス・マルケルのひねったドキュメンタリーだったせいか、こちらはまともな、というか、まっとうな、というか、本来のドキュメンタリーだったので、かえって戸惑った。

シリア内戦の中の若者たち、予想以上に暗澹たる気持ちに。元ユース代表GKが反アサドの武装闘争の闘士となり、延々と市街戦。最初は歌で平和を訴えていたというのだが。ひたすら殉教を唱え、原理主義ばりの危うさを見せる。虚無感募る。
サッカーボールを銃に持ち替えた青年。非暴力を貫きカメラで記録し続けた青年。作品中でこの二人をきちんと描き切れたとは思えず。

サッカーシーンは冒頭ちょこっとだけ、しかもナイスセーヴィングシーンじゃなくて可愛そう。イゴリョーク・アキンフェーエフかソスラン・ジャナエフばりに「やらかした」シーンの映像しかない。

彼の歌うレジスタンスソングは、はっきり言って全然上手くなかった。
アラビア語講座で聞いたアラビックポップス、これまで映画などで見聞きしたパレスティナのピップポップなど、あのあたりの音楽と詩には常に心を揺すぶられてきたものなのに、彼、バセットの歌にはアラビア語の美しさが感じられず、単なるシュプレヒコールみたいな歌詞で、サッカーシーンの肩すかし以上にがっかり。
これでシリアの若者が引きつけられるとは信じがたかったけれど、彼にはカリスマ性があるといい(私には全く効かないのだが…)、平和を訴える歌手として反アサドの人たちに人気を博したのだという。
が、平和的なデモンストレーションはアサド側の攻撃で蹴散らされ、挫折し、バセットたちは武器を手にする。

一方、バセットの友人オサマは重傷を負って入院していたところ、戻ってみると皆銃を持って戦うようになっていて、一人入り込めない雰囲気になっている。
この所在なさが痛々しい、とても。
彼はまだ非暴力での反アサド民主化運動を諦めておらず、アサド政権による市民抑圧(というよりもはや虐殺といってよい)の実態を撮影し、インターネットにアップして、世界の皆の知るところとなれば、世界はアサドを許さないだろう、この非道、不正義に、世の人々が黙っているわけはないだろうと信じている。
このシリア内戦に限らず、パレスティナにしても、チェチェンにしても、あるいは旧ユーゴスラヴィア紛争などでも、「世界の皆はこの現況を知らされていない。映像を発信して、皆に知ってもらえれば、現況の悲惨さが伝わり、自分たちが闘う正当性がわかってもらえ、協力してもらえる」と考えるのだろう。それが伝わらない、となれば、失望感たるやいかほどのものか、と案じる。

武器を取り一線を超えると、非暴力の世界に帰ってくることはとても難しいだろう。
反アサドの思想的拠り所がイスラーム原理主義にすぐ結びついてしまうのに、何故?と思う暇もなく、突然殉教だとか言い出すのが不気味だ。
民主化を求めてアサド政権に抵抗したはずのバセットであったが、彼らが手にする武器はいったいどこから供給されるのだろうか?と思いつつ観ていたところ、ある映画評によれば、彼はその後「イスラム国」に忠誠を誓い、ヌスラ戦線に参加しているという。(民主化とかふるさとを守るというのはどうなったのだろうか?彼なりに思想の整合性はあるのだろうか?)
このドキュメンタリー中では、時に「疲れた」と弱音を吐き、アサド政権打倒のためにNATOがシリア攻撃をして欲しいみたいなことを口走る。その後、どういう経緯があったのか、(というより「やはり」という印象だが)ファンダメンタルへの道を辿るという…。


「それでも僕は帰る シリア 若者たちが求め続けたふるさと」

2014年10月20日月曜日

ルワンダの遠い夜明け

ルワンダで虐殺があってから20年。
フツ族とツチ族、現政権は虐殺の責任は問わずそっと蓋をすることで、”砂上の和解”を国民に強いているようだ。

「FCルワンダ」
オランダのヨリス・ポステマ監督が撮った57分のドキュメンタリー作品である。

FCルワンダというタイトルだが、そういう名のクラブの話ではない。
サッカーのルワンダ代表の話でもない。
そもそもそんなにサッカーシーンは多くはなく、インタビュー中心。
ジャーナリストやサッカー選手たちに向けての。
ああいうことがあった国で、民族とか部族(エスニックグループという方が良いようだが)ではなく、帰属意識だったり国民の統合の象徴だったりがサッカーに求められている面もあるのでは?と探っていっているわけだ。

30年前の検証は殆どない。
(それは別の映画等の役割だろう。)
現在の「和解」がどうなのよって話。
確か、ツチ族を殺せとラジオ放送をした者など虐殺を煽った人は国際司法裁判所で人道に対する罪を問われたはずだが、直接虐殺に手を染めた人たちについては責任を追及されることはなかったらしい。
あまりに多くて収拾がつかないことになり、新たな国家建設に支障をきたすという判断によるのかもしれないが、迫害を受けた側からすると泣き寝入りに他ならず、強者による和解の押しつけであり、彼らマイノリティーの二重の意味での犠牲の上に立つ平穏だと言える。

国内リーグでは、民間の人気プロチーム「レイヨン」と、それに対抗馬となる政府軍のクラブ「ARC」が二強のようで、ダービーを選手たちもファンも心待ちにしている。
概ね一番人気の民間プロチーム、レイヨンがスパルターク、部族の「和解」を事実上強制した政府側=軍のチームARCはツェスカやディナモに例えられよう。

繰り返すが、かの国では虐殺のことは未だタブーであり、正面切って「何族ですか?」などと問うのも避けられている。
当然と言えば当然だが、「彼らは私たちを見下している」といった意識は残っていて、どうもいつもチーム内が微妙な雰囲気に支配されている。

なので、危なっかしい。
スパルターク(レイヨン)対ツェスカ(ARC)じゃいつ何時フーリガン化して、皆がそおーーーっとしてきた外見上の和解も平穏も統一も一気に崩壊しかねないのではと。

正視できないほど辛いことだが、子どもたちが逃げ込んだ学校の校舎で虐殺が行われ、今も犠牲者の骨が積み上げられ、壁に叩きつけられた子どもの血痕が生々しく残っているシーンがある。

サッカーでは虐殺の犠牲者追悼の試合が行われるが、選手の多くは肉親が犠牲になっている、または肉親が手を下しているが、いまだそれは表立っては語られない。
そんな中で、サッカーがすぐに和解の架け橋のような役目を果たし得て、すっきり問題解決、ハイタッチで終了などとは、現時点ではとてもならない。
果たして非常にもやもやしたものが残り、居心地の悪さを持たせる作品。
ただ、未来志向で教育が大切と、語り始めている人たちがいるのが救いだ。

ところで、難民映画祭でこの映画が上映された際、特別ゲストとして元日本代表の北沢豪氏がいらした。


この写真では例の長髪がわかるだけだな。
彼の感想は
・ルワンダの選手は結構サッカーは上手い。やはりアフリカ特有の身体能力の高さを持つ。
・同じチームに親を殺したかもしれない人たち(の子ども)がいたら複雑であろう。
・日本の選手が日本代表として「日本のためにプレイしよう」と思うように、ルワンダの選手たちが「ルワンダという国のためにプレイしよう」という気になっているのかと言うとちょっと疑問。
・やはりサッカーをして教育に繋げなければならない。
概ねこんなことではなかったかと。

「FCルワンダ」
難民映画祭にて。

面白い映画とはお世辞にも言えないが、フットボール映画祭等で上映する価値がある。

2014年2月10日月曜日

古豪ポーランドの輝かしき日々

大雪の中、横浜まで観に行ったポーランドのドキュメンタリー"Mundial. Gra o wszystko"
直訳すると「ワールドカップ 全試合」となる。
このMundialというスペイン語から借用された単語のようだが、仮にロシア語のМундиальと同じであれば1982年スペイン大会以降に使われるようになった、というより、1982年スペイン大会そのものを指すといってもよさそう。
少なくともこの映画の内容は、1982年スペイン大会におけるポーランド代表の全試合のレポートであり、加えて時節柄というか、当時自主管理労働組合「連帯」で盛り上がるポーランド国内の世相をもレトロスペクティヴしました、というもの。
ヨコハマ・フットボール映画祭での邦題は「クレムリンに立ち向かった男たち ポーランド代表 ベスト4の真実」となっていて、“まーたソ連(ロシア)が悪役?”と世のロシア好きの皆さんにとってはうんざりな様相を感じさせるけれど、実際にはそんなに«反ソ決死隊»な映画ではなく、ソ連もポーランドの対戦国の一つとして登場するにすぎないので安心してご覧くださいませ。

で、真面目なドキュメンタリーではあるのだけれど(目新しいところではETVで使っているようなへヘタウマなアニメーションが添えられている、効果的なのかどうか微妙)、ポーランド国民には自明のことでも、数十年後の外国人たる日本人が鑑賞すると、基礎知識不足が露呈してきてしまうので、相当想像力を駆使しないといけないのが辛いところ。

基礎知識1:当時のポーランドサッカーは強かった!
基礎知識2:自主管理労働組合「連帯」誕生は世界的に注目されていた!
基礎知識3:当時、ポーランドとソ連はワルシャワ条約機構で結ばれていたけれど、ソ連は常に兄貴面をし、ポーランド人の多くは反感を持っていた。
基礎知識4:当時のローマ教皇はポーランド人であった。

基礎知識1でいえば、試合映像を観るとほんとに素晴らしい。
快足Grzegorz Lato ラト、悪童だったらしいZbigniew Boniekボニエク、そしてスモラレク・パパ。
スモラレク、大活躍である。膠着した試合の突破口となる先制点、コーナー近くでの驚異のボールキープ、溜息ものである。
(エンド・クレジットでスモラレク・パパだけ四角囲みになっていた。故人になっているのは彼だけなのか?何とも惜しまれる早逝だった。制作当時には存命だったので、貴重な彼のインタビューもあり。)

基礎知識2の自主管理労働組合「連帯」絡みで言えば、ポーランドでは言わずもがななのかもしれないが、もはや歴史となってしまった事項について説明抜きにはわかりにくい点も出てくる。
最初に処分されそうになったGK、スター選手ボニエクが「彼を使わないなら我々選手たちも出ない」と言い張ったおかげでことなきをえた(2010年ワールドカップ予選最終盤のドイツ戦を前にして、ゼニットサポーターともめたブィストロフ及び彼を支援したロシア代表のことを思い出した)のだが、そもそも何故このGKは一時所在不明になっていたのだ?
ここに政治的理由でもあるのか?は、遂に説明されなかった。

選手たちは(当然ながら)ことさらに政治的な行動をしているわけではない。
むしろそういう観られ方を外からされるのを意識的に避けていたと言えよう。
いわゆるポーランド気質として悲劇のヒーローになりたがる、みたいなところはやはりあったが、一方ボニエクは「ソ連選手だって大変でしょ」と慮ってもいた。
(実際大変だったと思われる。このときポーランド代表が対戦したソ連代表にはバロンドールを獲得したオレグ・ブロヒンがいた。)

また、「連帯」はといえば、ワールドカップ開催時に獄中にあった人たちはTV観戦の要求をする(まあそれは権利として要求するのは、南アなんかでも出てくるエピソードだ)が、特にサッカーファンでもない人は全く熱心ではなく、むしろそんなことで当局にまるめこまれたくないという立場だし、本音は隣で観戦されるのも嫌という人もいるので、「ワールドカップを観ないで済む権利」まできちんと保障していたら完璧だったと思うが。

レトロなロック調の曲が数曲使用されていて、予選・本戦でそれぞれ応援歌が作られていたこと、恐らくはポーランドのファンたちによって口ずさまれていたのだろうことが伺われて、改めて、このときのポーランドは世界的強豪であったことに思いをはせる。

フットボール映画祭でよりも、ポーランド映画祭で観たい映画だった。(←ワイダの旧作上映はもういいから、お願いしますよ、実行委員会の方々!!)

"Mundial. Gra o wszystko"
(公式サイト)



2013年10月14日月曜日

美しく勝つブラジル

原題("Santos, 100 anos de futebol arte")からわかるように、サントスFC創立100年を記念した作られたドキュメンタリー映画。

サントスの試合の映像に関しては、「眼福」の一語に尽きる。
中でも感動的だったのがスーパーセーヴ連発のGK(ホドルフォ?)
「もう一度やれと言われても無理」と当人。(当然だ。)
あとは、ペレの1000ゴール達成試合。
試合半ばでPKを得ると、その時点でゴール裏にはプレスが詰め、ファンも集まってきて、その次に起こることが容易に想像できるような様相を既にしている。
果たしてペレがPKを成功させ無事1000ゴールめを決めると、大いなるお約束としてゴール裏の人々がピッチになだれこんで同僚選手もろともペレを祝福する。
試合?
そんなもの、もうそっちのけである。

TV解説者も「この際ルールなんてどうでもいいでしょう」などとのたまっている。

この前のセルビアの親善試合で、引退記念のスタンコヴィチが途中交代した際に完全に試合が中断してセレモニー化していたのを、あれれと思ったのだけれど、「東欧のブラジル」からすると、「試合?そんなもの、もうそっちのけ」「この際ルールなんてどうでもいいでしょう」という論理になっていたのだろう、と簡単に納得してしまった。

ただ、この映画、基本的には試合映像と関係者インタビューを交互に見せるという、ドキュメンタリーフィルムとしてはいたってオーソドックスな手法で、しかも特に選手のインタビューは(以前観た「フッチボール・ブラジル」でも感じたことだが)割とありきたりだ。
加えてこちらは早朝にルクセンブルク対ロシアの試合を観ていたものだから、時おりふ~っと眠気に襲われた。だからところどころ少々記憶が怪しい。もう一度観ないと。

それから、100年記念ドキュメントと言っても、映像・画像の記録が残っている後半の歴史(ペレ以降)に集中しているのはいたしかたないことだが、やはり肩すかし感は否めない。

不思議だったのは、「サントスのファンは他のクラブより少ないが、ファン自身はそれを決して認めようとしない」というジャーナリストの言葉で、私にしてみればブラジルのクラブと言えばまずサントスFCの名が思い浮かぶほどだったので、ファンが少ないことは意外、自身が認めない点は当然だと思った。

それから、率直に言って、元選手たちのインタビューって、どうしてこんなにおもしろくないのだろう?
自慢めいてばっかりで。
インタビュアーの手腕によるところが大きいと思うが、ブラジル人の気質から言うと、あんなの自慢に入らないから気にならない、のだろうか?
もしかしたら、来年以降のブラジル映画祭でもサッカーのドキュメンタリー映画作品がやってくることがあるかもしれないが、謙虚な人を観たいな。

サントス〜美しきブラジリアン・サッカー〜

ブラジル映画祭2013にて


選手たちインタビューでネイマールも応対していた(優等生的)。
でも周知のとおり直後にどこぞのクラブに移籍してしまいました。

2013年8月23日金曜日

サッカー遺伝子ありやなしや

ダヴィッド・ウォズニアック。
名前から推測できたが、前教皇(鑑賞当時。今は前々になってしまった)のポートレートが家に飾られ、熱心なカトリック教徒の家庭で、つまり彼はポーランド系移民2世。

カナダではそんなにサッカーは人気スポーツではないかもしれないが、ダヴィッドはチームのグッズを常に身につけたり配したりとなかなかのサッカーファンであることをうかがわせる。

過去に行った精子提供によって、遺伝子上533人の子どもがいることが発覚。
40代ながらまだ親に甘えているダメンズのダヴィッドは当然焦る。
最初はしらを切ろうとする。
が、遺伝子上の子どもたちの出世頭が地元サッカーチーム(主人公はこのチームの熱心なファン)のエースストライカーで、こっそり観戦しに行くと大活躍!
とはいえこの子はその後ストーリーに全く絡んでこないのが残念。
もう一人ピアスの引きこもりっこ、この子だけが主人公が父親であることを突き止めて押しかけてくるのだけれど、ダヴィッドがサッカー指南をしてみると、これが下手で下手で。
という具合の展開なのだった。

ダヴィドにはサッカーの才能があったのだろうか?
サッカー好きの遺伝子はあるのだろうけど。

「人生、ブラボー!」
ケン・スコット監督カナダ2011年