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2016年2月4日木曜日

バーバリアンズ セルビアの若きまなざし

やっと「バーバリアンズ セルビアの若きまなざし」を観た。

感想としては、「どこにもこういう映画ってあるんだな」という、既視感ありの、その意味ではやや期待外れってところ。
それでもセルビアっぽくはあったが。
(クストリッツァとかの、ハイテンションなパワーはない。もっともクストリッツァのあれはセルビアと言うより、ロマだったりボスニア方面だったりするのだろうか?)
しかし、だからこそ観ておくべき映画だと思う。
それも今観ておくべき映画。
是非見ましょう。

結局そこに帰っていくしかない地元サッカークラブのサポーター、と言っても、自分の応援するチームの選手を傷つけたりして、主人公の言動は一貫せず無軌道。
(ここが予想と違ったところ。熱狂的ファンが主人公かと思っていたので。)

こういう映画はよくある、と書いたのは初期ボドロフ「自由はパラダイス」「モスクワ 天使のいない夜」、カネフスキーやラバノフといった90年代ロシアの一連の作品、フドイナザーロフ「少年、機関車に乗る」あたりもそうだし、最近ではウクライナの「ザ・トライブ」なども挙げられるが、ああいうタイプの鬱屈した青春迷路系(スキンヘッドなんて恐らく当地でも10年遅れであろうが)の作品は割と観てきたから。
旧東欧の作品を挙げたけれど、ケン・ローチなんかもそうです。

何よりチェコの「ホレム・パーデム」に出てくるスパルタ・プラハファンの若者(飼い猫をポボルスキーと名付けていた)が思い出された。

ただ、バーバリアンズのルカくんは、サッカー自体にはそれほど情熱を持っていないように思えた。自分ではサッカー全然していなかったし。
選手になってサッカーで身を立てたいなんて夢は端から持っていない。
希望が見えない。
最初からない。
そういう時代、そういう風潮の、現代セルビアの若者を、恐らくかなりリアルに映しとっているのだろう。

とにかく、ルカも友人も、年齢の割に(高校生くらいだと思われる)非常に幼げに見える。

サポーターのグループが、予想とはかなり違った。
選手を傷つけられたりしたら、それこそ許しがたいことだと制裁でも加えるのかと思ったら、案外緩いし…。

昨今のセルビア代表の弱体化が何となく納得できるような、そういう空気が流れている映画だった。
夜明けはまだ遠い。
が、2018年のワールドカップには出場して欲しいなあ。

2011年6月26日日曜日

SUPER 8でウンザ・ウンザ・タイムを満喫

ユーゴスラヴィア!
ユー、ゴ、スラ、ヴィヤ!
ユー、ゴ、スラ、ヴィヤ!
ユー、ゴ、スラ、ヴィヤ!

サッカーのレプリカユニを着てコンサートに臨むミュージシャンはよくいるのでは?
母が大好きなロッド・スチュアートとか。

エミール・クストリッツァは映画監督ですが、この映画では1ミュージシャンということになっています。
ノー・スモーキング・オーケストラというバンドにギタリストということに。

この映画、ノー・スモーキング・オーケストラというバンドのヨーロッパツァーのドキュメンタリーというわけではありません。
ノー・スモーキング・オーケストラはあることはありますが、クストリッツァが映画監督との二足のわらじでバンド活動にいそしんでいる、というのはこの映画を作るにあたっての一種のフィクションです。
まあ、趣味の範囲内ってことで。
ウンザ・ウンザは、聞くと脳内の蛋白質を活発化させ、人生が楽しくなる効果があるとか。
(エセ科学か?!)
まあいろいろ固いことをいわずに、ウンザ・ウンザを楽しみましょう。
いいじゃないですか、人生が楽しくなるフィクションということで。

ノリノリのバンドムービーの中、一番印象的なのは、「ユー、ゴ、スラ、ヴィヤ!」を連呼して、ユーゴ代表への応援を会場全体でするシーン。
クストリッツァとサッカーは切っても切れない仲なのです。
「パパは出張中」から「マラドーナ」まで。

*SUPER8
 エミール・クストリッツァ監督2001年イタリア・ドイツ
*ノー・スモーキング・オーケストラ(エミールの息子のストリヴォールがレプリカユニ(たぶん当時のユーゴスラヴィア代表の)を着ています)
*ウンザ・ウンザ・タイム(聴けます)

2010年9月26日日曜日

マラドーナ

「マラドーナ」
エミール・クストリッツァ監督2008年スペイン・フランス

原題は「クストリッツァによるマラドーナ」でして、実際そのとおりサッカー好きな映画監督クストリッツァがサッカー界のスターを撮りましたっていう映画です。

日本未公開作品の「ドリー・ベルを憶えているかい?」をはじめとして「パパは、出張中! 」「ジプシーのとき」「アリゾナ・ドリーム」といったクストリッツァの初期作品の映像が拝めるのは嬉しいのですが、一方この映画の主役たるべき撮る対象(マラドーナ)が大物すぎて、クストリッツァが<出過ぎている>印象も否めません。
バランスが悪いというか。
失礼ながら笑えたのは「自分には女性というものがまったくわからない」という監督の独白でした。
(字幕には現れなかったが、「私の映画をご覧になっている人ならご承知であろうが」みたいなことを付言している。)
そうでしょうとも!
自覚はあったんだ。