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2025年6月29日日曜日

何度目かの感傷旅行 オデッサ・スタジオ: 一部屋半 あるいは祖国への感傷旅行

初めて見せていただいた時の仮題が「感傷旅行」で、その後の「センチメンタルジャーニー」より私は気に入っているので、まだ「感傷旅行」のままにしている。

 
オデッサ映画撮影所前の井上徹さん

オデッサ映画撮影所前の井上さん後ろ姿



昨日も、見終わってから、お話したかったな。
久しぶりにお会いしたエイゼンシュテインシネクラブの方たちとお話したように。
ブロツキー父がショスタコーヴィチに話しかける場面、「スコアはどうでしたか?」にはやっぱり「試合の」を省略しない方がよかったんじゃない?とか。
「ゼニス」ってやっぱりゼニット・レニングラードだよね?とか。(その巨匠の愛したディナモ・レニングラードも今は亡いのだ。地上から消えてしまった。FKソチなんて、後継クラブではない!)

ヴォイノフって実在選手だよね?
ヨシフ少年は有名な作曲家だよと言われて、誰って思ったって?
(カバレフスキーじゃなかった、全然聞いたことのない名前だった。要確認)

猫は1.5匹じゃなくてたくさん登場するけど、ブロツキーの生涯に寄り添った猫が1匹(よく写真で見る愛猫ミシシッピ)と半分(レニングラードに置いてきた猫、茶トラだったのかな?作品中お母さんは猫をオーシャと呼んでいたが、オーシャはヨシフの愛称らしい。ヨシフが猫をオーシャと呼んでいたかどうかはわからない。)


オデッサ・スタジオ: 一部屋半 あるいは祖国への感傷旅行: 少年は後に詩人となってレニングラードをうたう。 徒食の罪で刑事事件の被告人となる。 ノーベル文学賞を受賞する。 亡命する。 そして二度と故郷レニングラードには戻らない。 そんな詩人の魂がかの地に帰郷したとして、ソ連~ロシアアニメーションの大御所アンドレイ・フルジャノフ...

2015年12月13日日曜日

オデッサ海岸通り: 青いターバンの民

オデッサ海岸通り: 青いターバン: イスラーム映画祭で久しぶりにユーロスペースに行った。

劇映画「禁じられた歌声」とドキュメンタリー映画「トンブクトゥのウッドストック」はマリの古都ティンブクトゥまたはその近郊の遊牧の民トゥアレグ(自称ではケル・タマシェク)についての作品だった。
ケル・タマシェクやトゥアレグというのは初めて聞いた言葉のように思う。が、以前読んだ『アラーの神にもいわれはない』には言及があったかもしれない。衣装には青を好んで用い~やはり砂漠の民だから水は恵みとして青が愛されているのか、と思いきやむしろ空の色との認識であるようだ。で、他のイスラームの民と違って、顔や肌を曝さないような装いをするのはむしろ男性。ターバンで髪と鼻から下を覆い、ゆったりとした長袖の上衣とやはりゆったりしたズボンで体を露出させないようにしている。こういう特徴があるエスニックグループだとは、ほんと、知らなかった。

「禁じられた歌声」を観ていると、ソ連映画(グルジア)「希望の樹」が思い出された。
聖愚者的な女性の存在とか、愛する二人の運命、駆けて来て去って行く人(片や馬、片やバイクに乗っている)など。
「希望の樹」は古い因習・社会が恋人を引き裂く完全な悲恋ものだが、一方の「禁じられた歌声」は2012年1月のマリ北部独立紛争(「アサワド」独立を宣言、国際的には未承認状態)、その後「イスラーム・マグリブ諸国のアル=カーイダ機構」を名乗るいわゆるイスラーム原理主義者たち※によってティンブクトゥが占拠された当時の、その支配あるいは弾圧と、庶民の苦しみそして抵抗という、非常に今日的で社会的な要素てんこ盛りの、重たい映画であるので、単純な比較はできないが、監督はソ連の映画アカデミー出身(全ソ国立映画大学)とのことなので、同じ師匠筋かも?などど想像してしまった。
(ロシア語のウィキペディアを見たが、大学で誰に師事したかの記載はなかった。)

まずもって、映像の美しさは特筆すべきだろう。
ロングショットの多用はタルコフスキーやソクーロフを思わせる。
ああいう人たちが支配する地域では、なぜかサッカーが禁止され、「違反」した少年が処刑されたなんていうニュースも目にしたが、この映画では鞭打ち刑が言い渡される。
音楽やっていて捕まって同様に鞭打ちされる女性は、刑を執行されながらそれでも歌う。
歌って抗議、というより、その心境をそのまま吐露する。
それは壮絶な姿だ。
対し、違反とされたサッカーをそれでも止められるわけがなくて、少年たちがとった手段は”エアサッカー”とでもいうべき、ボールなきサッカーで、あたかもボールを蹴り、ドリブルし、阻み、シュートし、セーブしようとし、ゴールパフォーマンスをし、といったシーンがえも言われぬ美しさで心を打つ。本気で泣けてくる。
いや、実はばればれだろ、という突っ込みはなしで。
(ゴールも撤去した方が安全だよね、とは思った。)

「トンブクトゥのウッドストック」の方は、2011年1月に、ケル・タマシェクの民が一堂に会し、また外部の人々にも自分らの文化の発信をすべく開催された音楽祭「砂漠のフェスティバル」(音楽だけでなくラクダレースなんかもあるが)の、つまり上記の政変やアルカイーダ系の人々による占拠・支配の直前のドキュメンタリーだ。
あ、こういう自らの国家を持たず幾つかの国にまたがって分布する形で遊牧あるいは放浪する人たちが年に一回とか集まって絆を確かめ合うって、見たことあるじゃん、そう、ロマの人たちのあれと似ているかもって思った。
ケル・タマシェクの人たちの音楽は、きっといろいろあるのだろうけれど、音楽祭でやっていたのは、アフリカの伝統的な楽器というわけではなくて、エレキとかドラムなんかも用いながらのものだったりした。
ギターは「禁じられた歌声」でも出てきて、身近な楽器なのだろう。
イランあたりでも聞かれるような、女性の特色ある発声もあった。

(ゲストトークでも、青木ラフマトゥさんが実際にその声を出してくださった。)

※字幕では「サラフィスト」という言葉が当てられていた。

「禁じられた歌声」 2015年12/26~ユーロスペースで一般公開。シリアの「それでも僕は帰る」(一番あってほしくないこと ”サッカーボールを銃に持ち替え” )とともに、観ておくべき今日的サッカー関連映画だろう。

2012年8月5日日曜日

その試合に勝つということは

原題は«Матч»(試合)という、ダルデンヌ兄弟監督作品並みにシンプルで素っ気ないものです。
それでも「その試合」がどの試合を指すかは、察しの良い方はもうおわかりですね。
今年が70年のメモリアルイヤーとなる、スタルト・キエフ*とドイツ空挺部隊チームFLAHELFとの間で行われた「死の試合」のことです。
ドイツ軍占領下のキエフで、ドイツチームを勝たせるために設定された試合(8月6日)でスタルト・キエフは5:1で圧勝してしまいます。
面目を潰されたドイツチームは(よせばいいのに)リベンジマッチを持ちかけます。
1942年8月9日に行われたこの「死の試合」では、ドイツに勝たせろとあからさまな圧力を受け、強要されたナチスへの敬礼をも拒否して、スタルトはまたしても勝ってしまうのです。
勝てば収容所行き、そして処刑が待っているという苛酷な状況下でも、彼らは勝利に飽いていました。
そして、彼らを待っていたのは…。

主人公ニコライ・ラネヴィチ(ディナモ・キエフ及びソ連代表のGK。ニコライ・トルセヴィチをモデルにしている)を演じるのはセルゲイ・ベズルコフ。「続・運命の皮肉」でちょっと可哀想な役どころだったイラクリーを演じていた人。これもねえ。

GKの技術指導をしているのは元ロコモチフ・モスクワ及びロシア代表GKの「ボス」ことセルゲイ・オフチンニコフ!!
ディナモ・キエフでキーパーのトレーナーをしていたご縁でしょうか。

ちょっと残念なことにウクライナ映画ではなく、ロシア映画です。
(補遺:ロシア・ウクライナ合作ではあります。)
しかも、とっておきの良い素材を扱いながら、監督に力量がなかったのかその他にも原因があったのか、ロシアで公開されての評判もあまりよくはなかったようです。
それでも、日本で公開してほしいサッカー映画であり、歴史映画です。

「死の試合」を題材にした映画では「勝利への脱出」«Победа»(かなりアレンジしている)が有名ですね。
最初の映画化作品は1962年のソ連映画«Третий тайм»(第三の試合時間)**です。

また、ロシア・ソ連文化についての大家である山田和夫さんによれば«Két félidő a pokolban»「地獄のハーフタイム」というハンガリー映画があるそうです。
このあたりのことはだいぶ前にこちらに書きました。

*強豪ディナモ・キエフの面々にロコモチフなどキエフの他のチームの選手も加えての合同チーム。戦時中且つドイツ軍占領中のキエフであるため、厳しい条件下でサッカーのリーグを何とか続けていたわけです。
**ロシア語ではサッカーの試合の前半を「第一のタイム」、後半を「第二のタイム」と言います。「第三のタイム」という言葉はありません。これは試合の後のスタルトの選手たちの運命を暗示するタイトルです。Евгений Карелов監督のモスフィルム作品。

公式サイトはこちら
«Матч»
2012年ロシア
アンドレイ・マリュコフ監督
«34-й скорый»(暴走特急34)の監督さん。


2012年1月22日日曜日

おかしなおかしなスペシャルマッチ(仮題)

積み木風の人形(箱にフットボリストと書いてある)チームとキューピーみたいな人形(兄弟?)チームによるドリームマッチ。
PKが凄い。

上映時間は20分間ですが、あちらの催し事の常として、試合が始まるまでの前ふりは長いです。
ごゆっくりお楽しみください。

Необыкновенный матч
(直訳すると「異色の試合」)
Мстислав Пащенко
ムスチスラフ・パシチェンコ
Борис Дежкин
ボリス・ジェジキン
1955年




古き良き時代のソヴィエトアニメーションの典型。
画が美しい。

ウラジーミル・タラーソフ監督の「記念日」(1983年制作:アニメーション誕生100年を記念し、“ソヴィエトムリトフィルム創立1000年を祝う上映会”をしている宇宙船の中に、宇宙人たち?が乗り込んできて…という設定で展開する、素敵なアニメ。“記念上映”に過去のソヴィエトアニメの名作が惜しみなく挿入されています。最後はチェブラーシカが宇宙を救います。)中、「イワンの仔馬」と「雪の女王」の間に一瞬現れます。

サッカー選手たちがあんまり強くないぞ。
「グラン・マスクの男」並にせこい手を繰り出すのだが…。

ボリス・ジェジキンには、「フットボールの星」Футбольные звёзды(1974年)という作品もあります。


おまけ
「動物たちのサッカー」
ユーロ2008のころ放映されたみたいですね。

2012年1月15日日曜日

一部屋半 あるいは祖国への感傷旅行

少年は後に詩人となってレニングラードをうたう。
徒食の罪で刑事事件の被告人となる。
ノーベル文学賞を受賞する。
亡命する。
そして二度と故郷レニングラードには戻らない。

そんな詩人の魂がかの地に帰郷したとして、ソ連~ロシアアニメーションの大御所アンドレイ・フルジャノフスキーが、ヨシフ・ブロツキーへのオマージュを捧げたひたすらに美しく哀しく愛しい作品。

「一部屋半 あるいは祖国への感傷旅行」
ヨシフは父と散歩に出かける。
スタジアム。
サッカー観戦。
ヨシフの独白
「サッカーは人気スポーツだった。その地区・職場のクラブが負けると翌日の生産性は大いに低下した。皆でゲームについて議論することになったからだ」
(みたいなことだったと思います。正確ではありません。)
「でもその日はスタジアムには行かなかった」

ヨシフ少年が父に連れられて向かったのはカフェ。
常連客のおじさんに向かって父は話しかける。
「スコアはどうでしたか?」
作曲家であるその人への挨拶は、実際そうと決まっていたらしい(ユリヤ・ソンツェヴァの伝記による)。
日本語にすると一見楽譜のことを尋ねているようだけれど、サッカー好きのその人への挨拶としては「ディナモ・レニングラードの試合はどうだったの?」を意味する。

ディナモ・レニングラード、現在はもちろんディナモ・サンクト=ペテルブルグだが、2010年のシーズンは一部リーグまで上がってきていたのだけれど、残念ながら1シーズン限りで二部落ちしてしまい、二部の成績まではさすがにチェックしていない…と今調べたら、なんと二部の西北地区ではなくて、アマチュアリーグになっていた。侘しい話だ。

今をときめくゼニットは、この町がレニングラードであった時分には「世界一弱いチーム」と呼ばれていたそうで(←今日聞いた話)、作曲家が本職とサッカー観戦に勤しんでいた当時はゼニットとディナモは実力は拮抗していたようで、この前日の対戦は作曲家が答えたところによると、1-2とやらでディナモはゼニットに敗れたのだ。
ここで名前が挙げられるイヴァノフは、昨年亡くなったワールドカップ得点王のあのイヴァノフさんではないかもしれない。
(あのイヴァノフさんはトルペド・モスクワの選手だった。)

2回目に観たところ、イヴァノフではなくて、イリ・・・???という名前でした。

ヨシフの父は「あれが誰だかわかるか?」と尋ねるが、ヨシフは正解を言えない。
(「カヴァレフスキー?」とか言うのだ、確か。←記憶はかなり不正確)

カヴァレフスキーではなくて、レで始まる名前でした。

ドミトリー・ドミトリエヴィチだよとを言われて、家に帰って母に伝えるが、あの偉大な作曲家だとは伝わらず、警官の名前だと勘違いされたり。

それでも、ヨシフは故郷の町を追憶する時、あのドミトリー・ドミトリエヴィチとともに、彼が愛したサッカーチーム、ディナモ・レニングラードを、ペトロフスキースタジアム(今は亡きキーロフスタジアムかも)を想起する。

はかなく美しいこの作品中サッカーについて語られるのはこの箇所のみ。
この作品の前につくられた「ひと猫半」«Полторы комнаты»は未見なので、サッカーが語られているかどうかは不明。

ディナモ・レニングラード
レニングラード
ドミトリー・ドミトリエヴィチ
ピアノ
ヨシフ・ヴィサリオノヴィチの胸像
愛猫
一部屋半のコムナルカ
今は亡き風景への憧憬は、何の関わりのない他人が観ても、なぜにこんなに美しいのだろう。

Полторы комнаты, или Сентиментальное путешествие на родину
「一部屋半 あるいは祖国への感傷旅行」
アンドレイ・フルジャノフスキー監督2008年ロシア

 
«Полторы комнаты»

2010年9月25日土曜日

コサックのサッカー

私にとってサッカー映画と言うと、これです。
"Как казаки в футбол играли"
「コサックのサッカー」原題:コサックはいかにサッカーをしたか
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なお、この作品はオデッサスタジオではなく、キエフスタジオ制作です。