2013年10月14日月曜日

美しく勝つブラジル

原題("Santos, 100 anos de futebol arte")からわかるように、サントスFC創立100年を記念した作られたドキュメンタリー映画。

サントスの試合の映像に関しては、「眼福」の一語に尽きる。
中でも感動的だったのがスーパーセーヴ連発のGK(ホドルフォ?)
「もう一度やれと言われても無理」と当人。(当然だ。)
あとは、ペレの1000ゴール達成試合。
試合半ばでPKを得ると、その時点でゴール裏にはプレスが詰め、ファンも集まってきて、その次に起こることが容易に想像できるような様相を既にしている。
果たしてペレがPKを成功させ無事1000ゴールめを決めると、大いなるお約束としてゴール裏の人々がピッチになだれこんで同僚選手もろともペレを祝福する。
試合?
そんなもの、もうそっちのけである。

TV解説者も「この際ルールなんてどうでもいいでしょう」などとのたまっている。

この前のセルビアの親善試合で、引退記念のスタンコヴィチが途中交代した際に完全に試合が中断してセレモニー化していたのを、あれれと思ったのだけれど、「東欧のブラジル」からすると、「試合?そんなもの、もうそっちのけ」「この際ルールなんてどうでもいいでしょう」という論理になっていたのだろう、と簡単に納得してしまった。

ただ、この映画、基本的には試合映像と関係者インタビューを交互に見せるという、ドキュメンタリーフィルムとしてはいたってオーソドックスな手法で、しかも特に選手のインタビューは(以前観た「フッチボール・ブラジル」でも感じたことだが)割とありきたりだ。
加えてこちらは早朝にルクセンブルク対ロシアの試合を観ていたものだから、時おりふ~っと眠気に襲われた。だからところどころ少々記憶が怪しい。もう一度観ないと。

それから、100年記念ドキュメントと言っても、映像・画像の記録が残っている後半の歴史(ペレ以降)に集中しているのはいたしかたないことだが、やはり肩すかし感は否めない。

不思議だったのは、「サントスのファンは他のクラブより少ないが、ファン自身はそれを決して認めようとしない」というジャーナリストの言葉で、私にしてみればブラジルのクラブと言えばまずサントスFCの名が思い浮かぶほどだったので、ファンが少ないことは意外、自身が認めない点は当然だと思った。

それから、率直に言って、元選手たちのインタビューって、どうしてこんなにおもしろくないのだろう?
自慢めいてばっかりで。
インタビュアーの手腕によるところが大きいと思うが、ブラジル人の気質から言うと、あんなの自慢に入らないから気にならない、のだろうか?
もしかしたら、来年以降のブラジル映画祭でもサッカーのドキュメンタリー映画作品がやってくることがあるかもしれないが、謙虚な人を観たいな。

サントス〜美しきブラジリアン・サッカー〜

ブラジル映画祭2013にて


選手たちインタビューでネイマールも応対していた(優等生的)。
でも周知のとおり直後にどこぞのクラブに移籍してしまいました。

2013年8月23日金曜日

サッカー遺伝子ありやなしや

ダヴィッド・ウォズニアック。
名前から推測できたが、前教皇(鑑賞当時。今は前々になってしまった)のポートレートが家に飾られ、熱心なカトリック教徒の家庭で、つまり彼はポーランド系移民2世。

カナダではそんなにサッカーは人気スポーツではないかもしれないが、ダヴィッドはチームのグッズを常に身につけたり配したりとなかなかのサッカーファンであることをうかがわせる。

過去に行った精子提供によって、遺伝子上533人の子どもがいることが発覚。
40代ながらまだ親に甘えているダメンズのダヴィッドは当然焦る。
最初はしらを切ろうとする。
が、遺伝子上の子どもたちの出世頭が地元サッカーチーム(主人公はこのチームの熱心なファン)のエースストライカーで、こっそり観戦しに行くと大活躍!
とはいえこの子はその後ストーリーに全く絡んでこないのが残念。
もう一人ピアスの引きこもりっこ、この子だけが主人公が父親であることを突き止めて押しかけてくるのだけれど、ダヴィッドがサッカー指南をしてみると、これが下手で下手で。
という具合の展開なのだった。

ダヴィドにはサッカーの才能があったのだろうか?
サッカー好きの遺伝子はあるのだろうけど。

「人生、ブラボー!」
ケン・スコット監督カナダ2011年

2013年6月11日火曜日

ドリーム・チーム1935

「ドリーム・チーム1935」という映画、実はまるっきりバスケット映画であって、サッカーシーンは全然ないのだ。
1935年開催の第一回バスケットボールヨーロッパ選手権で優勝したラトヴィア代表の話だ。
いわゆるスポ根ものの映画で、2時間の作品だけれど、結構おもしろい。
陸上分野からコーチを招いてのトレーニング風景が典型的な«その手の映画»って感じ(ちょっとしつこいかも?)

ラトヴィアは第一次世界大戦後に独立した小国。
これも実話通りなのか知らないがせっかく選手権行きが決まっているのにそれを妨害するような行為に終始するスポーツ協会の人たちがいる。
よって、バスケットラトヴィア代表、お金の苦労がずっと続く。
監督自身も旅費の申請の仕方を知らないなど、国際試合の経験が浅く、ラトヴィアという国の「若さ」を見せてしまっている。

ラトヴィアはその後、1930年後半から40年代へと時代が進むと、独裁体制の政体に陥る中で、秘密協定によるソ連併合、ドイツ軍進攻・・・と戦争・粛清の悲劇に見舞われるが、こういった歴史を、もちろん映画の中の人たちは知り得ない。

ラトヴィア選手権、練習風景、遠征途中のリトアニアとの親善試合、そしてもちろん選手権での3試合(対ハンガリー戦、地元スイス戦、決勝のスペイン戦)も丁寧に再現した末に、無事優勝し、ラトヴィアに帰って来て人びとの歓迎を受ける中で、このドリームチームの面々のその後が字幕で語られる。
史実なのだろうからネタバレするが、戦死・戦争関連死・粛清・亡命…戦後までラトヴィアにいて戦争(と粛清)を生き延びたのは一人だけだ。
また、この字幕で知ったことだが、この時代のスポーツ選手には珍しくなかったことだが、バスケットのドリームチームの何人かのメンバーは他のスポーツでも活躍した(スパルターク・モスクワの創立者のスタロフスチンもアイスホッケーの選手兼任だった)。
ボートのドイツ代表(!ドイツに占領されましたからね)あり、サッカー選手も複数いた(ラトヴィア代表主将も)。

戦争や他国の占領による直接の被害者となったサッカー選手たちとしては、ナチス・ドイツのチームと「死の試合」をしたディナモ・キエフの選手たちが知られているが、特に運動能力に優れた若者であったスポーツ選手は真っ先に徴兵対象となったろうし(或いは元々軍人であった)、抵抗運動にも進んで身を投じたろうから、当然犠牲になった人も多かっただろう、と改めて思うのだ。


バスケットラトヴィア代表~ドリームチーム1935

Valdemārs Baumanis/Вальдемар Бауманис 監督 
映画の冒頭、ラトヴィア国内の試合(大学チーム対軍のチーム(ASK)では選手兼任だった。何歳くらいの設定なのだろうか?結構おっさんぽい他の選手たちより若そうに見えたが。)
Dekšenieks 陸上出身のコーチ 
Rūdolfs Jurciņš/Рудольф Юрцин 主将 
Andrejs Krisons
Džems Raudziņš/Янис Лидманис
Aleksejs Anufrijevs/Алексий Ануфриев 得点王 
Herberts Gubiņš/Херберт Губин
Mārtiņš Grundmanis/Мартыньш Грундманис
Visvaldis Melderis/Висвалдис Мелдерис
Jānis Lidmanis/Дзем Раудзиньш
Eduards Andersons/Эдуард Андерсон
Edgars Rūja

「ドリーム・チーム1935」
"Sapņu komanda 1935"
"Команда Мечты 1935"
О победе Латвии на первом ЧЕ по баскетболу снимают фильм

2013年2月12日火曜日

アララト・スタジアムでアザディ(自由)を叫ぶ

今年も横浜までフットボール映画祭に出掛ける。
昨年はジャック&ベティだったけれど、今年は違う会場だ。
こぎれいなミニシアターであった。

4本観た中で、最も自分に近しいものとして捉えられたのは、やはり闘うイラン女子の登場する「フットボール・アンダーカバー」だ。
アンダーカバーというのは、恐らく「イスラムの教え」に添って”体の線が出ないように””肌を露出させないように”と、長袖長ズボン+頭をしっかり覆うというユニホームを指しているのだと思うが、そういういで立ちになると、正直言ってドイツ女子とイラン女子の区別は一見つかなくなる。
ドイツのチームはヨーロッパ系(ちょっと判別しがたかったがスラヴ系もいるかも)に加え、アフリカ系や西アジア系(トルコやイラン)ありの多民族編成(男子のドイツ代表と同様である)、イランの方もペルシャ人やらアルメニア人は元々ヨーロッパ風の顔立ちだから。

これはドイツのドキュメンタリー映画で、女子チームのメンバーと在独のイラン人男性との話し合いからイランの女子チームと国際親善試合をしようということになって、事務的にはいろいろ大変なことがありながら何とかそれらをクリアして、ビザを取り、試合を成功させる、というものだ。
イランに行く、しかもサッカーをしに行けるというのはとても羨ましいことだが、もちろん凄く大きな困難が立ちはだかり、それを一つずつ克服してのことでもある。
未知のイランという土地に試合をしに行くドイツチームも大変だ(アメリカがイランに戦争を仕掛けるかもしれない、と危機感を募らせていた)が、ご承知のとおり何かと制約の大きい中でサッカーに情熱を傾けるイラン女子の姿に大感動!
ドイツ側が撮っているから、何となく『テヘランでロリータを読む』に見られるような西欧感覚でイランを観ている風は否めないが、中心となるマリアンネという少女が終始真摯な態度でとても好感が持てた。

最初は何とアザディ・スタジアム(アジア最大のサッカースタジアムであり、「オフサイド・ガールズ」に見られるように女人禁制である)で試合をするということだったが、やっぱりそれは叶わず、アララトという1万人収容(当局談?)のスタジアムに変更されてしまう。

もちろん、イランでサッカーをしている女性というのは、テヘランなどの大都会の、かなり恵まれた家庭の子女であるわけで、実はお母さんが大いにバックアップしている家庭が多い。
イランの女子サッカーの歴史はかなり古く(ドイツよりも古い)、お母さんは若い頃にサッカーの経験があり、イラン革命で断ち切られた自らの夢を娘に託しているというケースもある。
「クロスの仕方がなってないから、私が教えた」とか。

アララト・スタジアムでの、イラン女子チーム初の国際試合は、アザディが女性を締め出しているのの裏返しで男子禁制となる(でも、録画して放映はするというのだから、何で男性を締め出しているのか趣旨は一貫していないような気がするのも「オフサイド・ガールズ」に登場する少女たちが指摘したそのままである)。
同行してきたドイツサッカー協会役員の男性(トルコ系だとか)もどう掛け合っても入れてもらえず、塀の隙間から覗き見るが、塗りたてだったペンキが顔に付着するという漫画みたいな展開になったり、イランの男性たちも何となく遠巻きにスタジアム付近に群がっていたり、スタジアムの外はコミカルな雰囲気。

(登場する男性たちは大反対したり意地悪したりはしない。「男子のチーム・メッリはふがいないから君たちは頑張れ」とか言ってコピー代をサービスしてくれようとしたりして、割と協力的だ。
一方、スポンサーの石油会社やアリ・ダエイのスポーツショップ(ユニホームを提供してくれることになっていた)は、協力する気はあるものの、実際上あまりあてにならない…というのは、イラン男性一般をある意味象徴しているようでもある。)

試合の応援の中で、イランの女性たちは応援の声を挙げる中で「女性の権利を尊重せよ」「サッカーを観る権利を」という極めて政治的な要求も堂々と行う。
スタジアムには女性の監視員もいて、「女性として節度ある応援を」と放送し、実際観客たちの行動をチェックもしていたりするので、はらはらしながら観ていたが、彼女たちはひるまない。「言ってやったわよ」てなものである。

現実には、あれからもイランの状況は良くなっていない。イラン女子サッカーは大会予選から締め出されてしまった(←不当なことだと思う)。ドイツ以外の国も、どんどんイランと試合をして交流を深めて欲しい。

「フットボール・アンダーカバー」ディビッド・アスマン、アヤット・ナジャフィ監督2008年ドイツ

2013年1月4日金曜日

サッカーに裏切られた天才、エレーノ

久々の更新は、昨年観た中でもひどく印象に残った、痛ましくも美しいサッカー映画。
以下は「オデッサ海岸通り」の才能は天からの贈り物、あなただけのものではないより。

ユーロスペースでブラジル映画祭の「サッカーに裏切られた天才、エレーノ」を観た。
悲しい。
ブラジルサッカー界にはこういう、才能がありながら運に恵まれなかった選手が山ほどいるのではないだろうか。
夢を見たけれど力が及ばなかったと思いきるのと、天才だったのに巡り合わせが悪くて、というのと、結果的にはどちらの方がよりましだったのだろうか。

主演の二枚目俳優(エレーノ本人も美貌の天才選手だったという話だ。この俳優は「苺とチョコレート」の詩人役の人を思い出させ)のなりきり演技には舌を巻く。
プレイヤーとしてはぎらぎらした視線でオーラを醸し出し、廃人になってからは心ここにあらずという風で。
「サッカーに裏切られた天才、エレーノ」
ジョゼ・エンヒケ・フォンセカ監督2011年ブラジル