2012年1月22日日曜日

おかしなおかしなスペシャルマッチ(仮題)

積み木風の人形(箱にフットボリストと書いてある)チームとキューピーみたいな人形(兄弟?)チームによるドリームマッチ。
PKが凄い。

上映時間は20分間ですが、あちらの催し事の常として、試合が始まるまでの前ふりは長いです。
ごゆっくりお楽しみください。

Необыкновенный матч
(直訳すると「異色の試合」)
Мстислав Пащенко
ムスチスラフ・パシチェンコ
Борис Дежкин
ボリス・ジェジキン
1955年




古き良き時代のソヴィエトアニメーションの典型。
画が美しい。

ウラジーミル・タラーソフ監督の「記念日」(1983年制作:アニメーション誕生100年を記念し、“ソヴィエトムリトフィルム創立1000年を祝う上映会”をしている宇宙船の中に、宇宙人たち?が乗り込んできて…という設定で展開する、素敵なアニメ。“記念上映”に過去のソヴィエトアニメの名作が惜しみなく挿入されています。最後はチェブラーシカが宇宙を救います。)中、「イワンの仔馬」と「雪の女王」の間に一瞬現れます。

サッカー選手たちがあんまり強くないぞ。
「グラン・マスクの男」並にせこい手を繰り出すのだが…。

ボリス・ジェジキンには、「フットボールの星」Футбольные звёзды(1974年)という作品もあります。


おまけ
「動物たちのサッカー」
ユーロ2008のころ放映されたみたいですね。

2012年1月15日日曜日

一部屋半 あるいは祖国への感傷旅行

少年は後に詩人となってレニングラードをうたう。
徒食の罪で刑事事件の被告人となる。
ノーベル文学賞を受賞する。
亡命する。
そして二度と故郷レニングラードには戻らない。

そんな詩人の魂がかの地に帰郷したとして、ソ連~ロシアアニメーションの大御所アンドレイ・フルジャノフスキーが、ヨシフ・ブロツキーへのオマージュを捧げたひたすらに美しく哀しく愛しい作品。

「一部屋半 あるいは祖国への感傷旅行」
ヨシフは父と散歩に出かける。
スタジアム。
サッカー観戦。
ヨシフの独白
「サッカーは人気スポーツだった。その地区・職場のクラブが負けると翌日の生産性は大いに低下した。皆でゲームについて議論することになったからだ」
(みたいなことだったと思います。正確ではありません。)
「でもその日はスタジアムには行かなかった」

ヨシフ少年が父に連れられて向かったのはカフェ。
常連客のおじさんに向かって父は話しかける。
「スコアはどうでしたか?」
作曲家であるその人への挨拶は、実際そうと決まっていたらしい(ユリヤ・ソンツェヴァの伝記による)。
日本語にすると一見楽譜のことを尋ねているようだけれど、サッカー好きのその人への挨拶としては「ディナモ・レニングラードの試合はどうだったの?」を意味する。

ディナモ・レニングラード、現在はもちろんディナモ・サンクト=ペテルブルグだが、2010年のシーズンは一部リーグまで上がってきていたのだけれど、残念ながら1シーズン限りで二部落ちしてしまい、二部の成績まではさすがにチェックしていない…と今調べたら、なんと二部の西北地区ではなくて、アマチュアリーグになっていた。侘しい話だ。

今をときめくゼニットは、この町がレニングラードであった時分には「世界一弱いチーム」と呼ばれていたそうで(←今日聞いた話)、作曲家が本職とサッカー観戦に勤しんでいた当時はゼニットとディナモは実力は拮抗していたようで、この前日の対戦は作曲家が答えたところによると、1-2とやらでディナモはゼニットに敗れたのだ。
ここで名前が挙げられるイヴァノフは、昨年亡くなったワールドカップ得点王のあのイヴァノフさんではないかもしれない。
(あのイヴァノフさんはトルペド・モスクワの選手だった。)

2回目に観たところ、イヴァノフではなくて、イリ・・・???という名前でした。

ヨシフの父は「あれが誰だかわかるか?」と尋ねるが、ヨシフは正解を言えない。
(「カヴァレフスキー?」とか言うのだ、確か。←記憶はかなり不正確)

カヴァレフスキーではなくて、レで始まる名前でした。

ドミトリー・ドミトリエヴィチだよとを言われて、家に帰って母に伝えるが、あの偉大な作曲家だとは伝わらず、警官の名前だと勘違いされたり。

それでも、ヨシフは故郷の町を追憶する時、あのドミトリー・ドミトリエヴィチとともに、彼が愛したサッカーチーム、ディナモ・レニングラードを、ペトロフスキースタジアム(今は亡きキーロフスタジアムかも)を想起する。

はかなく美しいこの作品中サッカーについて語られるのはこの箇所のみ。
この作品の前につくられた「ひと猫半」«Полторы комнаты»は未見なので、サッカーが語られているかどうかは不明。

ディナモ・レニングラード
レニングラード
ドミトリー・ドミトリエヴィチ
ピアノ
ヨシフ・ヴィサリオノヴィチの胸像
愛猫
一部屋半のコムナルカ
今は亡き風景への憧憬は、何の関わりのない他人が観ても、なぜにこんなに美しいのだろう。

Полторы комнаты, или Сентиментальное путешествие на родину
「一部屋半 あるいは祖国への感傷旅行」
アンドレイ・フルジャノフスキー監督2008年ロシア

 
«Полторы комнаты»

2012年1月9日月曜日

TESE

東アジアのサッカーには極めて疎い私は、このドキュメンタリー映画の主人公である、鄭大世(チョン・テセ)という選手のことは知りませんでした。
なんか名前は聞いたことがあるな、程度。

彼は日本で生まれ育った在日三世のコリアン。
韓国籍。
映画には一切出てこない父親は韓国籍で、おそらくほぼ日本に同化していて、彼にも日本の教育を受けさせたいと願っていたとのこと。
しかし、彼の母方は朝鮮籍で、母親は「きちんとした“民族教育”を」と強く願い、父親とは大喧嘩した末、強引に朝鮮学校に入れる。
彼は学生時代から際立って優秀なサッカー選手だったらしく(家庭用八ミリフィルムなどかなり幼い頃からの映像が残っているのだ)、Jリーグは川崎フロンターレで活躍し、現在はボーフム(ドイツ)でプレイ。

この“民族教育”がどういうものか、私は知らなかったし、実のところあまり関心も持っていなかったのです。
むむむ。これは…。
民族教育というより個人崇拝強要のようなんですが。
戦前日本の“御真影”崇拝の図にやたら似ているような。
ソ連・ロシア映画でスターリンの大肖像画なんぞが出てくると、そこは笑う場面です、という癖がついていたのですが、どうもそこでくすりとしてはいけなかったみたい。
彼のお母様の推奨する“民族教育”は、かくも強烈な印象を与えました。
ただ、そういう教育が行われていたとしても、人間というものは、教育する側の思い通りの人間に全員が育つことは絶対にないわけです。
彼にしても、おそらくお母様が望むとおりのがちがちの国家主義者には育っていないようです。

彼の国籍は韓国であり、日本で生まれ育ちJリーグで活躍していたことで日本への国籍変更することも不可能ではなかったので、韓国代表にも日本代表にもなれた(実力的にはクリアできていたようです)はずですが、鄭大世(チョン・テセ)選手、幾多の困難が控えていることを承知の上で代表は母の祖国である北朝鮮を選択します。

このあたりまでは、例えばフロンターレファンの人など、普段からJリーグを観ている人には周知のことだったでしょう。

北朝鮮代表にはなったものの、現地育ちの選手たちとすっきり打ち解けることはありません。
背負っているものがそれぞれ違います。

同室は日本育ち北朝鮮籍のアン・ヨンハ(安英学)選手。
この人のことも名前しか知らなかったのですが、素晴らしく美しい選手ですね。
この選手は物静かに隣にいただけなので、多くを語りませんでしたが、鄭大世選手とはまた似て非なるバックボーンを背負っているはずで、この人の言葉も聞きたいと、欲張りながら考えました。

さんざん悩み、壁にぶち当たり、それでも前に進んでいる様子が、ナレーションもなく淡々とした映像で語られています。
北朝鮮代表のロッカールームやバスの中など割と秘蔵映像が多いです。

TESE:姜成明監督2011年日本
公式サイト:http://chongtese.net/

★この作品はYFFF2012ヨコハマ・フットボール映画祭(2/24-26 黄金町・ジャック&ベティ)で上映されるそうです。