2015年12月13日日曜日

オデッサ海岸通り: 青いターバンの民

オデッサ海岸通り: 青いターバン: イスラーム映画祭で久しぶりにユーロスペースに行った。

劇映画「禁じられた歌声」とドキュメンタリー映画「トンブクトゥのウッドストック」はマリの古都ティンブクトゥまたはその近郊の遊牧の民トゥアレグ(自称ではケル・タマシェク)についての作品だった。
ケル・タマシェクやトゥアレグというのは初めて聞いた言葉のように思う。が、以前読んだ『アラーの神にもいわれはない』には言及があったかもしれない。衣装には青を好んで用い~やはり砂漠の民だから水は恵みとして青が愛されているのか、と思いきやむしろ空の色との認識であるようだ。で、他のイスラームの民と違って、顔や肌を曝さないような装いをするのはむしろ男性。ターバンで髪と鼻から下を覆い、ゆったりとした長袖の上衣とやはりゆったりしたズボンで体を露出させないようにしている。こういう特徴があるエスニックグループだとは、ほんと、知らなかった。

「禁じられた歌声」を観ていると、ソ連映画(グルジア)「希望の樹」が思い出された。
聖愚者的な女性の存在とか、愛する二人の運命、駆けて来て去って行く人(片や馬、片やバイクに乗っている)など。
「希望の樹」は古い因習・社会が恋人を引き裂く完全な悲恋ものだが、一方の「禁じられた歌声」は2012年1月のマリ北部独立紛争(「アサワド」独立を宣言、国際的には未承認状態)、その後「イスラーム・マグリブ諸国のアル=カーイダ機構」を名乗るいわゆるイスラーム原理主義者たち※によってティンブクトゥが占拠された当時の、その支配あるいは弾圧と、庶民の苦しみそして抵抗という、非常に今日的で社会的な要素てんこ盛りの、重たい映画であるので、単純な比較はできないが、監督はソ連の映画アカデミー出身(全ソ国立映画大学)とのことなので、同じ師匠筋かも?などど想像してしまった。
(ロシア語のウィキペディアを見たが、大学で誰に師事したかの記載はなかった。)

まずもって、映像の美しさは特筆すべきだろう。
ロングショットの多用はタルコフスキーやソクーロフを思わせる。
ああいう人たちが支配する地域では、なぜかサッカーが禁止され、「違反」した少年が処刑されたなんていうニュースも目にしたが、この映画では鞭打ち刑が言い渡される。
音楽やっていて捕まって同様に鞭打ちされる女性は、刑を執行されながらそれでも歌う。
歌って抗議、というより、その心境をそのまま吐露する。
それは壮絶な姿だ。
対し、違反とされたサッカーをそれでも止められるわけがなくて、少年たちがとった手段は”エアサッカー”とでもいうべき、ボールなきサッカーで、あたかもボールを蹴り、ドリブルし、阻み、シュートし、セーブしようとし、ゴールパフォーマンスをし、といったシーンがえも言われぬ美しさで心を打つ。本気で泣けてくる。
いや、実はばればれだろ、という突っ込みはなしで。
(ゴールも撤去した方が安全だよね、とは思った。)

「トンブクトゥのウッドストック」の方は、2011年1月に、ケル・タマシェクの民が一堂に会し、また外部の人々にも自分らの文化の発信をすべく開催された音楽祭「砂漠のフェスティバル」(音楽だけでなくラクダレースなんかもあるが)の、つまり上記の政変やアルカイーダ系の人々による占拠・支配の直前のドキュメンタリーだ。
あ、こういう自らの国家を持たず幾つかの国にまたがって分布する形で遊牧あるいは放浪する人たちが年に一回とか集まって絆を確かめ合うって、見たことあるじゃん、そう、ロマの人たちのあれと似ているかもって思った。
ケル・タマシェクの人たちの音楽は、きっといろいろあるのだろうけれど、音楽祭でやっていたのは、アフリカの伝統的な楽器というわけではなくて、エレキとかドラムなんかも用いながらのものだったりした。
ギターは「禁じられた歌声」でも出てきて、身近な楽器なのだろう。
イランあたりでも聞かれるような、女性の特色ある発声もあった。

(ゲストトークでも、青木ラフマトゥさんが実際にその声を出してくださった。)

※字幕では「サラフィスト」という言葉が当てられていた。

「禁じられた歌声」 2015年12/26~ユーロスペースで一般公開。シリアの「それでも僕は帰る」(一番あってほしくないこと ”サッカーボールを銃に持ち替え” )とともに、観ておくべき今日的サッカー関連映画だろう。

2015年8月5日水曜日

一番あってほしくないこと ”サッカーボールを銃に持ち替え”

シリア映画「それでも僕は帰る シリア 若者たちが求め続けたふるさと」を観てきた。

ここ一週間観ていたのがクリス・マルケルのひねったドキュメンタリーだったせいか、こちらはまともな、というか、まっとうな、というか、本来のドキュメンタリーだったので、かえって戸惑った。

シリア内戦の中の若者たち、予想以上に暗澹たる気持ちに。元ユース代表GKが反アサドの武装闘争の闘士となり、延々と市街戦。最初は歌で平和を訴えていたというのだが。ひたすら殉教を唱え、原理主義ばりの危うさを見せる。虚無感募る。
サッカーボールを銃に持ち替えた青年。非暴力を貫きカメラで記録し続けた青年。作品中でこの二人をきちんと描き切れたとは思えず。

サッカーシーンは冒頭ちょこっとだけ、しかもナイスセーヴィングシーンじゃなくて可愛そう。イゴリョーク・アキンフェーエフかソスラン・ジャナエフばりに「やらかした」シーンの映像しかない。

彼の歌うレジスタンスソングは、はっきり言って全然上手くなかった。
アラビア語講座で聞いたアラビックポップス、これまで映画などで見聞きしたパレスティナのピップポップなど、あのあたりの音楽と詩には常に心を揺すぶられてきたものなのに、彼、バセットの歌にはアラビア語の美しさが感じられず、単なるシュプレヒコールみたいな歌詞で、サッカーシーンの肩すかし以上にがっかり。
これでシリアの若者が引きつけられるとは信じがたかったけれど、彼にはカリスマ性があるといい(私には全く効かないのだが…)、平和を訴える歌手として反アサドの人たちに人気を博したのだという。
が、平和的なデモンストレーションはアサド側の攻撃で蹴散らされ、挫折し、バセットたちは武器を手にする。

一方、バセットの友人オサマは重傷を負って入院していたところ、戻ってみると皆銃を持って戦うようになっていて、一人入り込めない雰囲気になっている。
この所在なさが痛々しい、とても。
彼はまだ非暴力での反アサド民主化運動を諦めておらず、アサド政権による市民抑圧(というよりもはや虐殺といってよい)の実態を撮影し、インターネットにアップして、世界の皆の知るところとなれば、世界はアサドを許さないだろう、この非道、不正義に、世の人々が黙っているわけはないだろうと信じている。
このシリア内戦に限らず、パレスティナにしても、チェチェンにしても、あるいは旧ユーゴスラヴィア紛争などでも、「世界の皆はこの現況を知らされていない。映像を発信して、皆に知ってもらえれば、現況の悲惨さが伝わり、自分たちが闘う正当性がわかってもらえ、協力してもらえる」と考えるのだろう。それが伝わらない、となれば、失望感たるやいかほどのものか、と案じる。

武器を取り一線を超えると、非暴力の世界に帰ってくることはとても難しいだろう。
反アサドの思想的拠り所がイスラーム原理主義にすぐ結びついてしまうのに、何故?と思う暇もなく、突然殉教だとか言い出すのが不気味だ。
民主化を求めてアサド政権に抵抗したはずのバセットであったが、彼らが手にする武器はいったいどこから供給されるのだろうか?と思いつつ観ていたところ、ある映画評によれば、彼はその後「イスラム国」に忠誠を誓い、ヌスラ戦線に参加しているという。(民主化とかふるさとを守るというのはどうなったのだろうか?彼なりに思想の整合性はあるのだろうか?)
このドキュメンタリー中では、時に「疲れた」と弱音を吐き、アサド政権打倒のためにNATOがシリア攻撃をして欲しいみたいなことを口走る。その後、どういう経緯があったのか、(というより「やはり」という印象だが)ファンダメンタルへの道を辿るという…。


「それでも僕は帰る シリア 若者たちが求め続けたふるさと」