2012年8月5日日曜日

その試合に勝つということは

原題は«Матч»(試合)という、ダルデンヌ兄弟監督作品並みにシンプルで素っ気ないものです。
それでも「その試合」がどの試合を指すかは、察しの良い方はもうおわかりですね。
今年が70年のメモリアルイヤーとなる、スタルト・キエフ*とドイツ空挺部隊チームFLAHELFとの間で行われた「死の試合」のことです。
ドイツ軍占領下のキエフで、ドイツチームを勝たせるために設定された試合(8月6日)でスタルト・キエフは5:1で圧勝してしまいます。
面目を潰されたドイツチームは(よせばいいのに)リベンジマッチを持ちかけます。
1942年8月9日に行われたこの「死の試合」では、ドイツに勝たせろとあからさまな圧力を受け、強要されたナチスへの敬礼をも拒否して、スタルトはまたしても勝ってしまうのです。
勝てば収容所行き、そして処刑が待っているという苛酷な状況下でも、彼らは勝利に飽いていました。
そして、彼らを待っていたのは…。

主人公ニコライ・ラネヴィチ(ディナモ・キエフ及びソ連代表のGK。ニコライ・トルセヴィチをモデルにしている)を演じるのはセルゲイ・ベズルコフ。「続・運命の皮肉」でちょっと可哀想な役どころだったイラクリーを演じていた人。これもねえ。

GKの技術指導をしているのは元ロコモチフ・モスクワ及びロシア代表GKの「ボス」ことセルゲイ・オフチンニコフ!!
ディナモ・キエフでキーパーのトレーナーをしていたご縁でしょうか。

ちょっと残念なことにウクライナ映画ではなく、ロシア映画です。
(補遺:ロシア・ウクライナ合作ではあります。)
しかも、とっておきの良い素材を扱いながら、監督に力量がなかったのかその他にも原因があったのか、ロシアで公開されての評判もあまりよくはなかったようです。
それでも、日本で公開してほしいサッカー映画であり、歴史映画です。

「死の試合」を題材にした映画では「勝利への脱出」«Победа»(かなりアレンジしている)が有名ですね。
最初の映画化作品は1962年のソ連映画«Третий тайм»(第三の試合時間)**です。

また、ロシア・ソ連文化についての大家である山田和夫さんによれば«Két félidő a pokolban»「地獄のハーフタイム」というハンガリー映画があるそうです。
このあたりのことはだいぶ前にこちらに書きました。

*強豪ディナモ・キエフの面々にロコモチフなどキエフの他のチームの選手も加えての合同チーム。戦時中且つドイツ軍占領中のキエフであるため、厳しい条件下でサッカーのリーグを何とか続けていたわけです。
**ロシア語ではサッカーの試合の前半を「第一のタイム」、後半を「第二のタイム」と言います。「第三のタイム」という言葉はありません。これは試合の後のスタルトの選手たちの運命を暗示するタイトルです。Евгений Карелов監督のモスフィルム作品。

公式サイトはこちら
«Матч»
2012年ロシア
アンドレイ・マリュコフ監督
«34-й скорый»(暴走特急34)の監督さん。


2012年7月26日木曜日

ユナイテッド ミュンヘンの悲劇

マンチェスター・ユナイテッドが経験した未曽有の悲劇、1958年2月6日にミュンヘンの空港で起こった飛行機事故のことを私はこの映画の宣伝まで殆ど知らなかった。

だから、観ていて脳裏に浮かぶのは記憶に新しい昨年9月7日に起きたアイスホッケーチーム、ロコモチフ・ヤロスラーヴリのチャーター機の離陸失敗の事故だった。
特に事故当日ではなく数日後に亡くなった「天才プレイヤー」に関しては、ヤロスラーヴリでも救助された後に病院で亡くなった選手がいらした、と映画を観ていて本当につらかった。

幾つもの棺が置かれた会場を二人の警備員が守っているのに、この映画の主人公ジミー・マーフィー氏が感銘を受ける場所でも、やはりヤロスラーヴリの事故の追悼会場にあまりにも多くの棺が並べられ、薔薇が捧げられている写真に、心が痛んだことを、嫌でも思い出した。
この記事など参照)

いずれにせよ、20代・30代のごく若い死は辛い。
事故が起こることが分かっていて観ているのは。

マンチェスター・ユナイテッド(以下マンチェスターという。シティーを忘れたわけではないが)が世界有数の強豪であることは知っている。
但し、普段イングランドのプレミアリーグを観ていない私にとっては(パヴリュチェンコらが移籍した当初は観ようと試みたけれど、ロシアリーグの試合を観た後とても身が持たなかった。つまり殆ど起きていられなかった。眠ってしまった)彼らがどんなに強いかの実感はあまりしていない。
カリャカがベンフィカに在籍した頃、CLでベンフィカとマンチェスターは同組で、私は根拠なくベンフィカはマンチェスターに勝てると確信していた。
(カリャカが活躍したわけでもないのだが、そのシーズンのベンフィカはやたら強くて、グループリーグを突破したのに対し、そのシーズンのマンチェスターは滅法弱くて、グループリーグ最下位だったのだ。)
事故があった当時の1958年、マンチェスターはやはり強いクラブで、地元の人たちに愛されるスター選手たちを擁していた。
おそらく外国人選手はおらず、全員連合王国の選手たちだ。

この映画の主人公も、マンチェスターのアシスタントコーチをしつつ、ウェールズ代表監督をしていて、まさにウェールズ代表の仕事があったおかげでこの航空機事故時にチームに帯同せず、事故には遭わなかった。

この人と、ボビー・チャールトンという若いFWが悲劇を乗り越えてクラブを再生する話、なのだが、事故後の再生部分は意外とあっさりことが進む。
試合の場面は案外少ない。
なので«サッカー映画»という雰囲気はさほど強烈ではない。
そのかわり、オールドトラフォードの外観が何度も映し出される。
事故前のクラブの和気あいあい、仲間は最高だぜっていう雰囲気を丁寧に描き、事故の様子や事故後の再生の苦労はセンセーショナルでも感傷的でもなく。
じんわりくる映画だ。
さすがイングランド映画。
日本でも人気クラブの映画だから、しかもサービスデーだから混んでいるかと思いきや、シアターNはがらがらだった。
シアターNって、ホラー映画かサッカー映画に特化したミニシアターなのだろうか?
(ホラーには縁がないが、サッカー映画は「線路と娼婦とサッカーボール」「マラドーナ」などを観に行った。)

ユナイテッド ミュンヘンの悲劇

ジミー・マーフィーさんは監督と1歳しか違わなかったんですね。
とても若く見えた。

2013年1月13日追記:ヨコハマ・フットボール映画祭2013で上映される。

2012年5月20日日曜日

エターナル―奇蹟の出会い

ロシア少年たちの少林サッカー、「エターナル 奇蹟の出会い」

今までこのブログには、「ロシア」のラベルでは5作品載せている。

中継基地 "米ソ連合"時代のサンクチュアリ(日本未公開)
太陽に灼かれて
ひまわり
ワイルド・ワイルド・ビーチ(映画祭上映)
ルサルカ 水の精の恋(日本未公開)
しかし、上記の作品において、サッカーに占める割合はそんなに高くない。
という意味においては、上記の作品はどれも狭義のサッカー映画ではなくなる。

アニメーションは別にして、旧ソ連圏の(純粋な)サッカー映画を、実は私は観たことがなかったのだ。
サッカー・バレエ(ショスタコ―ヴィチ作曲「黄金時代」初演版)だってソ連にはあったというのに、そしていっぱしの映画大国だったはずなのに、ロシア(ソ連)サッカー映画といってぱっと思いつかないのは何故なんだ?
ロシア映画関係のオーソリティーにいつか確かめようと考えているのだが、いったいロシア・ウクライナなど旧ソ連圏の国では、サッカーをテーマにした実写映画は作られていたのだろうか?
(まあ、ドキュメンタリーならありそうな気はするが、日本で上映されるような作品かどうか。)

そんなことを日々考えていた私に、遂に福音がもたらされたのです。
ロシアのサッカー映画が公開される!

その名は「エターナル 奇蹟の出会い」

私の知る限り、旧ソ連圏初の本格的サッカー実写映画なので、マニアックにいろいろ書いていきます。

原題«Выкрутасы»(巧妙な言い逃れ)
これは、地方都市の教師をしている主人公ヴャチェスラフ・コロチロフ(作品中では名選手と同名ということになっているが、実在はしないようだ。ヴャチェスラフの方ならマラフェーエフがいるが)が結婚退職してモスクワで行われる結婚式に行こうとするのに、偶然プラス校長の企みによって地元の少年サッカーチームの監督にさせられてしまう

早く試合に負けてモスクワに行こうとする

なのに、少年たちはトーナメントを勝ち進んでしまう

モスクワに行けない

モスクワにいる婚約者ナージャ(ミラ・ジョヴォヴィチ)に言い訳する

負けるためにいろいろ算段する

しかし勝ってしまう

また言い訳する
・・・というストーリーを表しています。

こういう“よんどころなき事態”が生じた場合、「正直に事情を説明したらいいじゃないの!」といつも思うのだが。
でも、映画界のお約束では、恋人がサッカーに関わると、自分のことがないがしろにされてしまう、故に女性にとってサッカーは恋人との親密なつきあいの阻害要因=不倶戴天の敵なので、ここでも「サッカーの大会で行けなくなった」とは言えなかったのでしょうか。


スラーヴァ(ヴャチェスラフの略称)とナージャが冒頭で出会う場面は、早回しの多用(最近のロシア映画には実に多い、多すぎる)からして、「ピーテルFM」っぽい雰囲気だ。
主人公が婚約者のいる女性に恋して、元々の婚約者の方がだめになる、という点でも「ピーテルFM」と被るが、主役がハベンスキーなんで、「続 運命の皮肉」がより強く思い出される。

「あいつらなんて負け犬のどうしようもない奴らだ」などと、(人生のというより)社会的な勝ち負けについての台詞が散見されるが、今どきのロシア人ってそういうことを意識しているのでしょうかねえ。
「人生に後半はない」なんて言葉も出てきて(しかし!ゲームには後半も、ロスタイムも、延長戦も、ときにはPK戦もあるのだよ、いつも諦めが早すぎるロシアのフットボリストたちよ)、若干浪花節が醸し出されるけれど、ミャフコフが「続 運命の皮肉」で言っているほどは説教臭くありません。

監督は「不思議惑星キン・ザ・ザ!」等に出演していたレベン・ガブリアーゼ。
初監督作品とのこと。

主演はコンスタンチン・ハベンスキー(あの彼か。「ナイト・ウォッチ」シリーズや「続・運命の皮肉」、あと「ウォンテッド」とかの。ハンサムとは思えないのに何でロシアで人気があるんだろう?)、奇蹟の出会いのお相手がミラ・ジョヴォヴィチ(確かアルトゥール・スモリヤニノフくんに出会った2003年の東京国際映画祭では、彼女主演の「ジャンヌ・ダルク」の宣伝がそこここでされていた。でもその作品を含め今まで出演作を観たことがなかった)。
脇役には、
♪ヒロイン(ナージャ)の母にはミラの実際の母ガリーナ・ロギノヴァ(元々女優です)
♪ヒロインの元婚約者にはイヴァン・ウルガント(代々俳優一家。濃~い人相がケルジャコフを想わせる?!)
♪悪役ЦАОモスクワ監督にはセルゲイ・ガルマシュ(「ヤクザ・ガール」「戦火のナージャ」「12人の怒れる男」「カティンの森」等々最近日本で公開されるロシア関係映画に実によく出ている)
♪正義の味方?の国会議員に、「モスクワは涙を信じない」の監督で、「UFO少年アブドラジャン」で子どもの頃からUFOに遭遇するのが夢!という将軍、「ナイト・ウォッチ」シリーズでは二次元美少女オタクな闇のリーダー(ゲッサーでしたっけ?)を嬉々として演じていたウラジーミル・メニショフ

サッカーの試合シーンに出てくる少年たちは、スラヴァ(主役)が率いるパリチキ(おそらく架空の地名)チームの少年たちを始め、対戦相手のロストフチェフ、タンボフ、アルザマス、ЦАОモスクワ(設定がツェスカ・モスクワぽい)のメンバーまで、全てエンドクレジットに出ていました。
(DVDが出たらチェックすることになる。)

「少林サッカー」ロシア編・少年版とも言えそうなアクロバティックな技を繰り出す、我がFKパリチキのメンバーは、
♪Саша "Кара"サーシャ(カーラ:アルシャーヴィンに憧れる、少々問題ありのキャプテン。字幕では「カール」となっていたが、"Кара"(罰)である。)・・・Савелий Гусевサヴェリー・グセフ
♪Чумаチューマ(ペスト)・・・Михаил Никольскийミハイル・ニコリスキー
♪Косойコソイ(やぶにらみ:とんでもない方向にパスする子。字幕では「寄り目」だったか)・・・Дмитрий Гогуドミトリー・ゴグ
♪Дарикダリク(ペルシャの金貨:「究極のビビリ」と仲間内から呼ばれていた煉乳大好きっ子。しかし異能が眠っていた。)・・・Иван Дёминイヴァン・ジョーミン
♪Шпалаシュパラ(枕木)・・・Глеб Степановグレープ・ステパノフ
♪Кукарачаクカラチャ(スペイン語のゴキブリのことか)・・・Александр Рахимбековアレクサンドル・ラヒムベコフ
♪Копчикコプチク(アカアシチョウゲンボウ(猛禽類)、字幕では「何やらテール」などとされていた(「尾骨」という意味もあるが…):可愛い顔して相手チーム選手を恫喝するGK)・・・Олег Масленниковオレグ・マスレンニコフ
♪Четырёхглазадзеチェティリョフグラザーゼ(四つ目:メガネ男子でスイカを頭上に載せて運ぶのが得意)・・・Джумбер Ардишвилиジュムベル・アルジシヴィリ
♪Ренатикレナチク(回転技の軽業師。マラチクとペアを組む)・・・Михаил Гостищев ミハイル・ゴスチシチェフ
♪Маратикマラチク(回転技の軽業師。レナチクとペアを組む)・・・Юрий Гостищевユーリー・ゴスチシチェフ
やっぱりこの二人は双子ですね。
♪Чирикチリク(10ルーブル、または小鳥のさえずり)・・・Иван Слесаренкоイヴァン・スレサレンコ
♪Козюляコジュリャ(毒蛇)・・・Илья Сологубイリヤ・ソログブ
♪Чичаチチャ・・・Дмитрий Былининドミトリー・ブィリニン


皆さんストリートチルドレンということで、種々のかっぱらい技をサッカーに応用し(普通、余裕で反則のはずですが)、ペアワークもばっちりです。
絵に描いたような伝統的なロシア美少年、というわけではありません。
可愛いけれどちょっとブチャイク系。
ロシア代表のアレクサンドル・ココリン(愛称ココラ)とかU21のデニス・チェルィシェフ、フョードル・スモロフあたりをイメージするといいでしょうか。

ラストにアレクサンドル・ケルジャコフが本人役でカメオ出演、「君の憧れのシャルシャーヴィンが愛用している」「アルシャーヴィンだよ!」という台詞、「ピーテルFM」にどことなく似ているといった点にみるように、ゼニット・サンクト=ペテルブルグ仕様かなあ、と思っていたら、モスフィルムなんですよね、この映画。

生ではなかったけれど、ケルジは素敵でした。
遠路大阪まで観に行った甲斐があったというものだ
彼はほんとに2018年には○○○○○○○かもしれません。

予告トレーラーではなく、ケルジがいっぱいのメイキングフィルムです。


ミラ・ジョヴォヴィチはアメリカ国籍のウクライナ出身(カリャカと同じドニエプロペテロフスク)の女優(父がセルビア人、母がロシア人?)だが、ロシア映画には初出演だとのこと。
「ロシア映画に呼んでくれてありがとう」と、泣いて語る姿が最後のNGシーンの前にあります。
アメリカで育っているせいか、「ウォンテッド」で観たアンジェリーナ・ジョリーなどと殆ど見分けがつきません。
脳内破壊シーンが繰り返されるのは、彼女の出演作へのオマージュなのでしょうか。

2012年5月4日金曜日

あなたがまぶしい、草蹴球

このオランダサッカー映画をまだ載せていなかった。
良作です。
投稿日: 2009年2月28日
1998年のオランダ映画祭(草月ホール)で一番観たかった作品。
招待状も手に入れたのだけど、その日の都合が悪くなって、教会の友人に譲ったのだった。
返す返すも心残りだった。
そんな私の心の片隅にあったものを、神様は気にかけてくださったのだ。
映画祭で観られなかった作品は大部分その後公開される機会もなく観られないままなのだけれど、何と夢は叶った。
10年以上経って再び催されることになった「オランダ映画祭2009」の「オランダ映画近作選」で、リバイバル上映がある!
(10年以上前の作品なのに「近作」なのか?)
しかも今度は残業さえしなければ観に行けるじゃないか!
よし、行くぞ。残業なんかしないもんね、この日は。
というその作品は「オールスターズ」という、草サッカー映画でした。
10年越しの願いがかなって、そう、何だか高校時代のサッカー部の憧れのエースストライカーに再会できたかのような気分(鉄壁を誇るキーパーでも可)。

19歳という設定だったとは、今気がついてちょっとびっくり。皆さん29歳くらいに見えたな。
サッカー映画としての比重より青春群像劇としての比重の方が大きく、それもかなり地味で(デンマークとかの映画みたいに)、『幸せになるためのイタリア語講座』ぽい。
キャスト
俳優さんたちは1960年代半ば生まれの人が多く、10年前というと19歳ではないねえ、確かに。
率直に言って、すごくカッコいい人や美青年はいません。
というか私好みの人はいませんでした。強いて言えばJohnnyがいいかしら。
俳優さんたちの容姿も、演技も、設定も、あまり華やかなものではありません。

にもかかわらず、この私の10年越しの恋は、本物だったと言えます。
いい映画でした。
結構感動しました。

サッカーの試合をしている場面はそれほど多くはなく、むしろかつては彼らの生活の中の重要な一部であった草サッカーが、もはやそうではなくなっていること、彼らとサッカーが急速に引き離されつつあることを、割と生真面目に描いています。
そうなんだよね、10年続けてゆくことって、大変なんだよね、ブラム、君はとっても偉いよ。

この映画、2009年夏(つまり今年)には続編ができるみたいです。
観たいよ!オランダ映画祭で、またやってくれますか??
この作品も、DVDが欲しい!

しかしどうして「オールスターズ」っていう題になったのでしょうか。
彼らのチームの名前は「スフィフト・ボーイズ」です。

オランダ映画祭、せっかくブルーナーの描いたオリジナルキャラクターののぼりやポスターなんかがあるのですが

今回もラインナップは異様に地味です。
この「オールスターズ」も含め、無名の作品ばっかりです。
当然ながら集客力も期待できず、せめて最近日本で一般公開された(且つ評判も良かった)「ブラックブック」とか「オランダの光」とかがプログラムにあればよかったのだろうに、と思います(権利問題がクリアできなかったのでしょうか)。
でも、地味でも外れが少ないのがオランダ映画。
そこはベルギー映画と同じかしら。
(大きな違いは、ベルギー映画には美少年がつきものだってこと。)

2012年2月26日日曜日

ふざけたロスタイムだ!―テヘラン、25時

この発言は某日本人解説者のオリジナルではなかったのか!
「テヘラン、25時」中、集合住宅の一室でTV観戦している男性(監督自身なのか?声だけで姿は見せない)が、その試合のロスタイムが6分経過したところで呻くように発した言葉だ。
それは1997年11月29日土曜日、1998年ワールドカップ(フランス大会)出場をかけての大陸間プレイオフ対オーストラリア戦でのことだ。
(結局この試合のロスタイムは8分余りにもなった)

イランはこれに先立つプレイオフ第1戦(ホーム)では1-1で引き分けてしまい、この試合は2点先攻されて絶体絶命に・・・。

ここからの試合経過についてはこちらの動画(コメントが入っていて観辛いのですが)をご覧になっていただくとして(註:大変ドラマチックで感動的です、イランサイドで観ると)省略する。

僅か10分ほどで、イランはバゲリとアジジのゴールで追いつく。
これでアウェイゴールルールにより(この予選からの適用だった)、このまま試合が終わればイランが本大会出場を勝ち取ることになるのですが、「早く終われ~!」と願うも、これが長い、長い、長い…。
「ふざけたロスタイムだ!」
(この試合が行われたのは目安に時間表示がされるようになる前なのだった。)
ゴールネットが外れるというアクシデントがあったので、長いだろうとは考えられただろうけれど。

この映画の字幕を担当したのはショーレ・ゴルパリアンさんであり、ペルシャ語で実際にどう言ったのかは確認していないが、そんなに原語から離れた日本語訳はしていないだろうと思う。
(彼女は特にサッカーが好きでも詳しくもないけれど、日本で上映されるイランやアフガニスタンの映画の翻訳をほぼ一手に引き受けており、当然サッカー映画の数々も手掛けている。)

15年前、チーム・メッリファンのこの悲鳴を記録していたドキュメンタリーフィルムは、続いてテヘランの町に繰り出し、歓喜に沸く人々の様子をただただ映し出す。
改めて驚いたのは、犬を飼っている人が堂々と出ていたこと。
この年の8月にハータミーが大統領に就任し、「テヘランの春」が始まりつつあった、ということも思い出す。
「オフサイド・ガールズ」の終盤、2006年ワールドカップ(ドイツ大会)出場を決め、祝賀ムード一色の町の実写も、このドキュメンタリーと何ら変わることはないが、このときはハータミーの第2期末期であった、ということも思い起こされる。
バゲリ、ダエイ、アジジ、マハダヴィキアが輝いていた。
フェリデーン、君はどこへ行ったの?

いずれにせよ、本大会出場決定でこれだけ皆で無条件に祝えるっていいなあ。
何度観てもいい。
幸せになれる。
ただ、選手らを見ても、ルール上からも、時代設定からも、これがもう過去の話だと思い知らされるのが、おもろうてやがてかなしきの心境になってしまうゆえんだ。
(現在のイランでは、本来こんなにもサッカー好きなはずの彼らが「サッカーどころではない」状況になってしまっているのが、傍から見ていて辛い、とても悲しい。)

「テヘラン、25時」“Tehran: Sa'at-e Bist-o Panj ”
セイフラー・サマディアン監督イラン2009年

2012年1月22日日曜日

おかしなおかしなスペシャルマッチ(仮題)

積み木風の人形(箱にフットボリストと書いてある)チームとキューピーみたいな人形(兄弟?)チームによるドリームマッチ。
PKが凄い。

上映時間は20分間ですが、あちらの催し事の常として、試合が始まるまでの前ふりは長いです。
ごゆっくりお楽しみください。

Необыкновенный матч
(直訳すると「異色の試合」)
Мстислав Пащенко
ムスチスラフ・パシチェンコ
Борис Дежкин
ボリス・ジェジキン
1955年




古き良き時代のソヴィエトアニメーションの典型。
画が美しい。

ウラジーミル・タラーソフ監督の「記念日」(1983年制作:アニメーション誕生100年を記念し、“ソヴィエトムリトフィルム創立1000年を祝う上映会”をしている宇宙船の中に、宇宙人たち?が乗り込んできて…という設定で展開する、素敵なアニメ。“記念上映”に過去のソヴィエトアニメの名作が惜しみなく挿入されています。最後はチェブラーシカが宇宙を救います。)中、「イワンの仔馬」と「雪の女王」の間に一瞬現れます。

サッカー選手たちがあんまり強くないぞ。
「グラン・マスクの男」並にせこい手を繰り出すのだが…。

ボリス・ジェジキンには、「フットボールの星」Футбольные звёзды(1974年)という作品もあります。


おまけ
「動物たちのサッカー」
ユーロ2008のころ放映されたみたいですね。

2012年1月15日日曜日

一部屋半 あるいは祖国への感傷旅行

少年は後に詩人となってレニングラードをうたう。
徒食の罪で刑事事件の被告人となる。
ノーベル文学賞を受賞する。
亡命する。
そして二度と故郷レニングラードには戻らない。

そんな詩人の魂がかの地に帰郷したとして、ソ連~ロシアアニメーションの大御所アンドレイ・フルジャノフスキーが、ヨシフ・ブロツキーへのオマージュを捧げたひたすらに美しく哀しく愛しい作品。

「一部屋半 あるいは祖国への感傷旅行」
ヨシフは父と散歩に出かける。
スタジアム。
サッカー観戦。
ヨシフの独白
「サッカーは人気スポーツだった。その地区・職場のクラブが負けると翌日の生産性は大いに低下した。皆でゲームについて議論することになったからだ」
(みたいなことだったと思います。正確ではありません。)
「でもその日はスタジアムには行かなかった」

ヨシフ少年が父に連れられて向かったのはカフェ。
常連客のおじさんに向かって父は話しかける。
「スコアはどうでしたか?」
作曲家であるその人への挨拶は、実際そうと決まっていたらしい(ユリヤ・ソンツェヴァの伝記による)。
日本語にすると一見楽譜のことを尋ねているようだけれど、サッカー好きのその人への挨拶としては「ディナモ・レニングラードの試合はどうだったの?」を意味する。

ディナモ・レニングラード、現在はもちろんディナモ・サンクト=ペテルブルグだが、2010年のシーズンは一部リーグまで上がってきていたのだけれど、残念ながら1シーズン限りで二部落ちしてしまい、二部の成績まではさすがにチェックしていない…と今調べたら、なんと二部の西北地区ではなくて、アマチュアリーグになっていた。侘しい話だ。

今をときめくゼニットは、この町がレニングラードであった時分には「世界一弱いチーム」と呼ばれていたそうで(←今日聞いた話)、作曲家が本職とサッカー観戦に勤しんでいた当時はゼニットとディナモは実力は拮抗していたようで、この前日の対戦は作曲家が答えたところによると、1-2とやらでディナモはゼニットに敗れたのだ。
ここで名前が挙げられるイヴァノフは、昨年亡くなったワールドカップ得点王のあのイヴァノフさんではないかもしれない。
(あのイヴァノフさんはトルペド・モスクワの選手だった。)

2回目に観たところ、イヴァノフではなくて、イリ・・・???という名前でした。

ヨシフの父は「あれが誰だかわかるか?」と尋ねるが、ヨシフは正解を言えない。
(「カヴァレフスキー?」とか言うのだ、確か。←記憶はかなり不正確)

カヴァレフスキーではなくて、レで始まる名前でした。

ドミトリー・ドミトリエヴィチだよとを言われて、家に帰って母に伝えるが、あの偉大な作曲家だとは伝わらず、警官の名前だと勘違いされたり。

それでも、ヨシフは故郷の町を追憶する時、あのドミトリー・ドミトリエヴィチとともに、彼が愛したサッカーチーム、ディナモ・レニングラードを、ペトロフスキースタジアム(今は亡きキーロフスタジアムかも)を想起する。

はかなく美しいこの作品中サッカーについて語られるのはこの箇所のみ。
この作品の前につくられた「ひと猫半」«Полторы комнаты»は未見なので、サッカーが語られているかどうかは不明。

ディナモ・レニングラード
レニングラード
ドミトリー・ドミトリエヴィチ
ピアノ
ヨシフ・ヴィサリオノヴィチの胸像
愛猫
一部屋半のコムナルカ
今は亡き風景への憧憬は、何の関わりのない他人が観ても、なぜにこんなに美しいのだろう。

Полторы комнаты, или Сентиментальное путешествие на родину
「一部屋半 あるいは祖国への感傷旅行」
アンドレイ・フルジャノフスキー監督2008年ロシア

 
«Полторы комнаты»

2012年1月9日月曜日

TESE

東アジアのサッカーには極めて疎い私は、このドキュメンタリー映画の主人公である、鄭大世(チョン・テセ)という選手のことは知りませんでした。
なんか名前は聞いたことがあるな、程度。

彼は日本で生まれ育った在日三世のコリアン。
韓国籍。
映画には一切出てこない父親は韓国籍で、おそらくほぼ日本に同化していて、彼にも日本の教育を受けさせたいと願っていたとのこと。
しかし、彼の母方は朝鮮籍で、母親は「きちんとした“民族教育”を」と強く願い、父親とは大喧嘩した末、強引に朝鮮学校に入れる。
彼は学生時代から際立って優秀なサッカー選手だったらしく(家庭用八ミリフィルムなどかなり幼い頃からの映像が残っているのだ)、Jリーグは川崎フロンターレで活躍し、現在はボーフム(ドイツ)でプレイ。

この“民族教育”がどういうものか、私は知らなかったし、実のところあまり関心も持っていなかったのです。
むむむ。これは…。
民族教育というより個人崇拝強要のようなんですが。
戦前日本の“御真影”崇拝の図にやたら似ているような。
ソ連・ロシア映画でスターリンの大肖像画なんぞが出てくると、そこは笑う場面です、という癖がついていたのですが、どうもそこでくすりとしてはいけなかったみたい。
彼のお母様の推奨する“民族教育”は、かくも強烈な印象を与えました。
ただ、そういう教育が行われていたとしても、人間というものは、教育する側の思い通りの人間に全員が育つことは絶対にないわけです。
彼にしても、おそらくお母様が望むとおりのがちがちの国家主義者には育っていないようです。

彼の国籍は韓国であり、日本で生まれ育ちJリーグで活躍していたことで日本への国籍変更することも不可能ではなかったので、韓国代表にも日本代表にもなれた(実力的にはクリアできていたようです)はずですが、鄭大世(チョン・テセ)選手、幾多の困難が控えていることを承知の上で代表は母の祖国である北朝鮮を選択します。

このあたりまでは、例えばフロンターレファンの人など、普段からJリーグを観ている人には周知のことだったでしょう。

北朝鮮代表にはなったものの、現地育ちの選手たちとすっきり打ち解けることはありません。
背負っているものがそれぞれ違います。

同室は日本育ち北朝鮮籍のアン・ヨンハ(安英学)選手。
この人のことも名前しか知らなかったのですが、素晴らしく美しい選手ですね。
この選手は物静かに隣にいただけなので、多くを語りませんでしたが、鄭大世選手とはまた似て非なるバックボーンを背負っているはずで、この人の言葉も聞きたいと、欲張りながら考えました。

さんざん悩み、壁にぶち当たり、それでも前に進んでいる様子が、ナレーションもなく淡々とした映像で語られています。
北朝鮮代表のロッカールームやバスの中など割と秘蔵映像が多いです。

TESE:姜成明監督2011年日本
公式サイト:http://chongtese.net/

★この作品はYFFF2012ヨコハマ・フットボール映画祭(2/24-26 黄金町・ジャック&ベティ)で上映されるそうです。