少年は後に詩人となってレニングラードをうたう。
徒食の罪で刑事事件の被告人となる。
ノーベル文学賞を受賞する。
亡命する。
そして二度と故郷レニングラードには戻らない。
そんな詩人の魂がかの地に帰郷したとして、ソ連~ロシアアニメーションの大御所アンドレイ・フルジャノフスキーが、ヨシフ・ブロツキーへのオマージュを捧げたひたすらに美しく哀しく愛しい作品。
「一部屋半 あるいは祖国への感傷旅行」
ヨシフは父と散歩に出かける。
スタジアム。
サッカー観戦。
ヨシフの独白
「サッカーは人気スポーツだった。その地区・職場のクラブが負けると翌日の生産性は大いに低下した。皆でゲームについて議論することになったからだ」
(みたいなことだったと思います。正確ではありません。)
「でもその日はスタジアムには行かなかった」
ヨシフ少年が父に連れられて向かったのはカフェ。
常連客のおじさんに向かって父は話しかける。
「スコアはどうでしたか?」
作曲家であるその人への挨拶は、実際そうと決まっていたらしい(ユリヤ・ソンツェヴァの伝記による)。
日本語にすると一見楽譜のことを尋ねているようだけれど、サッカー好きのその人への挨拶としては「ディナモ・レニングラードの試合はどうだったの?」を意味する。
ディナモ・レニングラード、現在はもちろんディナモ・サンクト=ペテルブルグだが、2010年のシーズンは一部リーグまで上がってきていたのだけれど、残念ながら1シーズン限りで二部落ちしてしまい、二部の成績まではさすがにチェックしていない…と今調べたら、なんと二部の西北地区ではなくて、アマチュアリーグになっていた。侘しい話だ。
今をときめくゼニットは、この町がレニングラードであった時分には「世界一弱いチーム」と呼ばれていたそうで(←今日聞いた話)、作曲家が本職とサッカー観戦に勤しんでいた当時はゼニットとディナモは実力は拮抗していたようで、この前日の対戦は作曲家が答えたところによると、1-2とやらでディナモはゼニットに敗れたのだ。
ここで名前が挙げられるイヴァノフは、昨年亡くなったワールドカップ得点王のあのイヴァノフさんではないかもしれない。
(あのイヴァノフさんはトルペド・モスクワの選手だった。)
↑
2回目に観たところ、イヴァノフではなくて、イリ・・・???という名前でした。
ヨシフの父は「あれが誰だかわかるか?」と尋ねるが、ヨシフは正解を言えない。
(「カヴァレフスキー?」とか言うのだ、確か。←記憶はかなり不正確)
↑
カヴァレフスキーではなくて、レで始まる名前でした。
ドミトリー・ドミトリエヴィチだよとを言われて、家に帰って母に伝えるが、あの偉大な作曲家だとは伝わらず、警官の名前だと勘違いされたり。
それでも、ヨシフは故郷の町を追憶する時、あのドミトリー・ドミトリエヴィチとともに、彼が愛したサッカーチーム、ディナモ・レニングラードを、ペトロフスキースタジアム(今は亡きキーロフスタジアムかも)を想起する。
はかなく美しいこの作品中サッカーについて語られるのはこの箇所のみ。
この作品の前につくられた「ひと猫半」«Полторы комнаты»は未見なので、サッカーが語られているかどうかは不明。
ディナモ・レニングラード
レニングラード
ドミトリー・ドミトリエヴィチ
ピアノ
ヨシフ・ヴィサリオノヴィチの胸像
愛猫
一部屋半のコムナルカ
今は亡き風景への憧憬は、何の関わりのない他人が観ても、なぜにこんなに美しいのだろう。
Полторы комнаты, или Сентиментальное путешествие на родину
「一部屋半 あるいは祖国への感傷旅行」
アンドレイ・フルジャノフスキー監督2008年ロシア
«Полторы комнаты»