2014年10月20日月曜日

ルワンダの遠い夜明け

ルワンダで虐殺があってから20年。
フツ族とツチ族、現政権は虐殺の責任は問わずそっと蓋をすることで、”砂上の和解”を国民に強いているようだ。

「FCルワンダ」
オランダのヨリス・ポステマ監督が撮った57分のドキュメンタリー作品である。

FCルワンダというタイトルだが、そういう名のクラブの話ではない。
サッカーのルワンダ代表の話でもない。
そもそもそんなにサッカーシーンは多くはなく、インタビュー中心。
ジャーナリストやサッカー選手たちに向けての。
ああいうことがあった国で、民族とか部族(エスニックグループという方が良いようだが)ではなく、帰属意識だったり国民の統合の象徴だったりがサッカーに求められている面もあるのでは?と探っていっているわけだ。

30年前の検証は殆どない。
(それは別の映画等の役割だろう。)
現在の「和解」がどうなのよって話。
確か、ツチ族を殺せとラジオ放送をした者など虐殺を煽った人は国際司法裁判所で人道に対する罪を問われたはずだが、直接虐殺に手を染めた人たちについては責任を追及されることはなかったらしい。
あまりに多くて収拾がつかないことになり、新たな国家建設に支障をきたすという判断によるのかもしれないが、迫害を受けた側からすると泣き寝入りに他ならず、強者による和解の押しつけであり、彼らマイノリティーの二重の意味での犠牲の上に立つ平穏だと言える。

国内リーグでは、民間の人気プロチーム「レイヨン」と、それに対抗馬となる政府軍のクラブ「ARC」が二強のようで、ダービーを選手たちもファンも心待ちにしている。
概ね一番人気の民間プロチーム、レイヨンがスパルターク、部族の「和解」を事実上強制した政府側=軍のチームARCはツェスカやディナモに例えられよう。

繰り返すが、かの国では虐殺のことは未だタブーであり、正面切って「何族ですか?」などと問うのも避けられている。
当然と言えば当然だが、「彼らは私たちを見下している」といった意識は残っていて、どうもいつもチーム内が微妙な雰囲気に支配されている。

なので、危なっかしい。
スパルターク(レイヨン)対ツェスカ(ARC)じゃいつ何時フーリガン化して、皆がそおーーーっとしてきた外見上の和解も平穏も統一も一気に崩壊しかねないのではと。

正視できないほど辛いことだが、子どもたちが逃げ込んだ学校の校舎で虐殺が行われ、今も犠牲者の骨が積み上げられ、壁に叩きつけられた子どもの血痕が生々しく残っているシーンがある。

サッカーでは虐殺の犠牲者追悼の試合が行われるが、選手の多くは肉親が犠牲になっている、または肉親が手を下しているが、いまだそれは表立っては語られない。
そんな中で、サッカーがすぐに和解の架け橋のような役目を果たし得て、すっきり問題解決、ハイタッチで終了などとは、現時点ではとてもならない。
果たして非常にもやもやしたものが残り、居心地の悪さを持たせる作品。
ただ、未来志向で教育が大切と、語り始めている人たちがいるのが救いだ。

ところで、難民映画祭でこの映画が上映された際、特別ゲストとして元日本代表の北沢豪氏がいらした。


この写真では例の長髪がわかるだけだな。
彼の感想は
・ルワンダの選手は結構サッカーは上手い。やはりアフリカ特有の身体能力の高さを持つ。
・同じチームに親を殺したかもしれない人たち(の子ども)がいたら複雑であろう。
・日本の選手が日本代表として「日本のためにプレイしよう」と思うように、ルワンダの選手たちが「ルワンダという国のためにプレイしよう」という気になっているのかと言うとちょっと疑問。
・やはりサッカーをして教育に繋げなければならない。
概ねこんなことではなかったかと。

「FCルワンダ」
難民映画祭にて。

面白い映画とはお世辞にも言えないが、フットボール映画祭等で上映する価値がある。